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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

最近の男性は化粧をするが、個人的に気持ち悪いということについて

最近、男性が化粧をするという光景は、もはや珍しいものではなくなった。化粧品売り場には「メンズ向け」コーナーがあり、SNSでは男性インフルエンサーたちがメイク術を披露している。電車の中でふと隣を見ると、肌のトーンを均一に整え、眉を整えた若い男性がスマートフォンを眺めているのを見かけることもある。時代は確かに変わったのだと感じる。
個人の見解です

 

 

正直に言うと

私はこの「男性の化粧」という現象に、どこか気持ち悪さのようなものを感じてしまう。もちろん、これは「時代遅れ」な感覚なのかもしれないし、「多様性を認めない旧態依然の価値観」と言われれば反論できない。しかし、あくまでも「個人的な感覚」として、違和感が拭えないのだ。

 

なぜ気持ち悪いと感じるのか

自分なりに考えてみた。

第一に

私の中にある「男らしさ」や「女性らしさ」という性別に基づいた価値観が背景にあると思う。私が育った時代には、男は汗をかいて、泥にまみれてもそのまま働くことが美徳とされていた。男の手は硬く、顔は無骨で、装飾や手入れには無頓着なほど良いという風潮があった。だから、鏡の前で眉を整え、ファンデーションを丁寧に塗る男性の姿を見ると、「これは男のやることなのか?」と戸惑ってしまう。

第二に

「本音と建前」のギャップへの不信感もある。化粧というのは、ある種の「ごまかし」でもある。シミを隠し、肌を明るく見せ、自分の欠点を見えなくする行為だ。それを女性がするのは「社会的役割」や「美意識の表現」として納得できるが、男性がそれをすると、「なぜ?」という問いが湧いてくる。清潔感を演出するためか? 他人に好印象を与えたいからか? 自己表現なのか? あるいはコンプレックスの裏返しか? 動機が不明確なまま、ツルツルとした肌の男性を見ると、どこか不自然で作り物のように感じてしまうのだ。

 

人は見た目が大事だというのは事実だ

第一印象はほとんど視覚情報で決まるとも言われているし、清潔感があるかないかで人間関係や仕事の評価も左右されることがある。それでも私は、あまりにも見た目ばかりを飾る人を見ると、「中身はどうなんだ?」と問いかけたくなる。とくに、男性が顔の造形や肌の色味ばかりを気にしている姿に、「それで人としての深さや信頼感は得られるのか?」と疑問を抱いてしまう。

男性に求められてきたものは

外見よりも中身――責任感とか行動力とか、言葉に重みがあるかどうかとか、そういう「生き様」のような部分だったはずだ。たとえ見た目が泥だらけでも、信頼される男には魅力があったし、「無口だけど頼りになる」なんていう像が、ある意味「かっこよさ」の一つだった。しかし今はどうだろう。ファンデーションで肌を整え、髪型を気にして鏡ばかり見ている姿は、見た目ばかりに意識が向きすぎていて、どこか軽薄な印象を受けることがある。内面の言葉や態度に中身が感じられず、「外側のパッケージだけ」で勝負しようとしているように見えるのだ。

さらに言えば

格好ばかりを気にすることが、他人からの評価を過剰に気にする生き方につながっているようにも見える。顔のシミを隠し、毛穴を消し、目元を強調し… そこには「本当の自分」ではなく、「他人が求める理想像」を演じようとする姿勢が透けて見える。その姿勢こそが、私にとってはもっとも「気持ち悪い」と感じてしまう理由なのかもしれない。

 

そうした感情が「偏見」であることも自覚している

現代はジェンダーレスやダイバーシティが叫ばれる時代であり、性別に基づく固定観念を持ち込むこと自体が時代錯誤だと言われるかもしれない。だが、「不快だと感じること」自体を否定してしまえば、それもまた別の意味での多様性の否定になってしまうのではないかと思う。世の中には、「変化を歓迎できる人」と「変化に違和感を持つ人」の両方が存在する。
私は後者であり、その感情に正直でいたいとも思う。

もうひとつの視点として

「男性が化粧をすることによって、本来の男性性が失われてしまうのではないか」という危機感もある。
たとえば、過度な美意識が広がることで、男性までが「見た目の完璧さ」を求められるようになると、ますます息苦しい社会になるのではないか。

 

もともと女性が長年背負ってきた「美のプレッシャー」を、今度は男性も負うようになるとすれば、それは本当の意味での自由なのだろうか。化粧は自由の象徴であるべきなのに、いつの間にか「化粧をしない男はだらしない」とか「見た目を気にしない男は時代遅れ」といった空気が生まれるとしたら、それは本末転倒である。

 

時代の流れなのだろう

美意識が男女を問わず浸透していることは理解できるし、それを批判するつもりもない。だが、正直な気持ちを言えば、私は男性の化粧に対して「気持ち悪さ」を感じてしまう。そしてその根底には、「格好ばかりに気を取られて、中身がまるで感じられない」という違和感がある。

 

私が化粧をする男性に感じる「気持ち悪さ」

おそらくこうした多くの要素が複雑に絡み合ったものだ。ただの感情的反応のようでいて、その裏には文化、価値観、時代の変遷への戸惑いがある。そして同時に、自分が「古くなっていく」ことへの無意識の恐れもあるのかもしれない。

最後に言っておきたいのは、私は男性の化粧を「やめろ」と言いたいわけではないということだ。それを選ぶ自由があるのは当然だし、それを楽しみ、自己表現とする人を否定する気はない。ただ、そうした現象に対して違和感を抱く人間もまた、存在しているという事実を認めてほしい。私が感じている「気持ち悪さ」や「違和感」は、単なる否定や批判ではなく、変わりゆく社会との対話の一つの形なのだ。

私のこうした感情が「古い考え方」だと批判されることは重々承知している。

時代は変わったし、多様性の尊重が求められる今、「男らしさ」「女らしさ」という枠組みそのものが再定義されつつある。しかし、だからといって「違和感を覚える自分の感情」まで否定する必要はないと思っている。どんなに時代が進んでも、人間は見た目だけでは語れない存在であり、中身のない人間関係は、どこかで破綻するのではないかと信じている。

私は、見た目よりも中身を重視したい。

格好よく見せる前に、「どう生きるか」を語れる人に惹かれる。化粧をすることが悪いのではない。だが、化粧をしているのに、中身が伴っていないと感じたとき、そのギャップこそが、私の心に違和感を呼び起こすのだ。

今後も、こうした「時代とのズレ」はますます増えていくのだろう。すべてを受け入れられる自信はないが、自分の感じる感情に正直でありながら、他者の選択にも敬意を払う、そんな姿勢を持ち続けたいと思っている。

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