まだまだ続く『世界三大シリーズ』!
今回は『世界三大嗜好飲料』です。さて、字面だけ見ると少しわかりにくいかな?
何でしょうかね〜。それではサクサク行きましょう〜!
- 世界三大嗜好飲料 紅茶
- 紅茶の発明者は、いったい誰!
- 結論は!
- 世界三大嗜好飲料 茶
- 世界でもっとも古いお茶の本
- 日本にお茶が来た!
- 茶栽培の始まり
- 世界三大嗜好飲料 ココア
- チョコレートの起源
- ココアのルーツは?
- 最後に
実は『紅茶』・『コーヒー』・『ココア』が三大嗜好飲料!と言われております。
共通点がありまして、カフェインを含有している事です。
それに!お酒・たばこを入れて5大嗜好品と言われています。
◆お茶の原産国は中国。(19世紀初めにインドでアッサム種が発見)、
◆コーヒーはエチオピアが原産。
◆ココアはメキシコが原産です。
世界三大嗜好飲料 紅茶
紅茶の発明者は、いったい誰!
紅茶の起源や発明に関しては、先人によってたくさんの説が披露されてきたそうで、茶の生葉を傷つけて放置しておくと緑色から茶褐色に変化する現象が起きた、この現象を知った誰かが、緑茶を作るのと同じ生の茶葉から、色も味も異なる紅茶が、できてくることを偶然に、思いついたのかもしれないとされています。
のちに解明されたことだが、生葉中にある酵素の力で茶ポリフェノールが酸化発酵されて紅茶特有のポリフェノールになってくることを自然現象としてとらえたこと、つまり紅茶誕生となる第一の発見が起きたのだろうと思われます。
やはり色々な説は存在します、その説については今回は省きます。長いので!
結論は!
はい!よくある話です!
東インド会社によってヨーロッパに輸出され始めた福建省武夷山付近を産地とする武夷茶(ボヒーティー)や工夫茶(カングーティー)が、醗酵度が進んでおり紅茶に似ていた。
それらを作る茶農や茶職人のうちのパイオニアたる誰かが、イギリス人をはじめとするお茶好きが求める嗜好に合わせ紅茶らしくしていった。天日干しによる萎凋や発酵度の調整を行って品質の工夫・改良を重ねた結果、徐々に本物の紅茶になってきたのが本当のところのようです。
ボヒーやカングーこそが、紅茶の起源であるということになってはいますが、元は所詮偶然の産物であったという捉え方が自然である。紅茶の起源についての結論は、これにて終結。
世界三大嗜好飲料 茶
毎度毎度ですが、茶の起源には諸説あるみたいです、紀元前、雲南省西南地域で初めて茶樹が発見されたという説が有力ですね。
雲南省はメコン河の上流、ミャンマー、ラオス、ベトナムと隣接する土地で、いまも茶の古樹が多く見られます。歴史上、最初に茶が登場するのは、農業と漢方の祖・神農が、野草とお茶の葉を食べていたという逸話から。当時のお茶はいまのように飲むものではなく、葉を食べるもので、薬として用いられていたようです。
中国の歴史の中で、お茶が登場するのは、「神農(しんのう、農業・漢方の祖)」の逸話からとなっています。
神農は、野草とお茶の葉を食べていたと伝えられています。この伝説から、お茶の発見は紀元前2700年ごろ、神農時代と考えられるそうです。
漢の時代(紀元前1世紀)の医学書『神農本草経(しんのうほんぞうきょう)』には、「茶味苦、飲之使人益思、少臥、軽身、明目」の記述がありました。すでにこの頃、お茶はよく知られていたようで、四川の王褒(おうほう)が記した、主人と奴隷との間で交される契約文『僮約(どうやく)』の中に、「武陽で茶を買う」とありました。これによると!当時すでに飲茶の習慣があり、売買が行われていたことがわかります。この『僮約』が、現段階では茶具に関する最初の文献とされています。この頃からお茶は、主に上流階級に嗜好品として愛飲されるようになったみたいです。
世界でもっとも古いお茶の本
『茶経(ちゃきょう)』は、唐の時代に陸羽(りくう)によって記されたもの。
『茶経』は、お茶の起源、歴史から製造具、茶道具、いれ方、飲み方、産地、心得にまで及びます。そのなかには、餅茶の作り方や飲み方についても詳しく書かれており、摘んだ茶葉を蒸し、搗いて型に入れて成形し、日干し後、火で炙って乾燥して保存し、飲用する時は、それを削って粉砕し、塩を入れた湯に加えて煮た後、器に入れて飲む、とあります。すごく細かいですよね!
宋の時代になると、お茶は貴族から役人や文人など富裕な市民のものへと変遷していき、お茶を飲みながら詩を吟じ、書をたしなみ、絵を描き、哲学を論じたと されています。時に遊びとして「闘茶」と称してお茶の良し悪しを鑑定し、茶器の良否を競うこともありました。飲み方も、緊圧茶の茶葉をすった粉末を茶碗に 入れてお湯とかき混ぜるという、日本の抹茶のような飲み方が行われていました。このころには、日本の茶道と同じような竹製の「茶筅(ちゃせん)」が使われ ています。また「餅茶」の製法が複雑になり、さらに呼び方が変わって「片茶(へんちゃ)、団茶」と呼ばれるようになりました。さらに時代が進み、清が崩壊すると、中国は列国の侵略を受けますが、茶壷製作や茶葉の栽培はさらに発展したそうです。
中華人民共和国の建国(1951年)後、中国茶は順調に発展を続けていましたが、毛沢東の文化大革命(1966~1976年)により、お茶は贅沢の象徴として弾圧され、栽培は制限されました。代わって台湾や香港で茶芸とお茶の栽培がより発展し、現在では台湾茶は世界的に有名になったみたいです。
日本にお茶が来た!
日本(平安初期)に初めてお茶を伝えたのは、『最澄』、『空海』、『永忠』らの遣唐使だと考えられています。『日本後記』には、815年に「嵯峨天皇に大僧都(だいそうず)永忠が近江の梵釈寺において茶を煎じて奉った」とあります。これが、わが国における日本茶の喫茶に関する最初の記述といわれています。この頃のお茶は非常に貴重で、僧侶や貴族など限られた人々だけが口にできるものでした。喫茶の習慣は、894年に遣唐使が廃止された以降も天皇、貴族、高僧の間に定着していきました。
茶栽培の始まり
日本(平安末期)の臨済宗の開祖、栄西は著書『喫茶養生記』で、お茶の種類や抹茶の製法、薬効などを説きました。その後、華厳宗の僧である明恵上人 (みょうえしょうにん)が京都栂尾の高山寺に茶を植え、茶を奨励しました。ここが最古の茶園とされています。そこから、伊賀(三重県)の八島、伊勢(三重県)の河尾、 駿河(静岡県)の清見、武蔵(埼玉県)の河越など各地に茶栽培が広まっていったそうです。
世界三大嗜好飲料 ココア
ココアとチョコレートは、ともにカカオの樹の種子、カカオ豆を原料とする食品です。
◆これを焙煎(ばいせん)、粉砕したあと、ペースト状に煮つめ、脂肪分を除いて粉末にしたのがココア。
◆ペーストに香料や糖分などを加え、固形にしたものがチョコレートです。
カカオの原産地であるアメリカ大陸の熱帯地域では、カカオ豆をすりつぶしてスパイスを加えた飲みものが、スタミナ源として古くから珍重されてきました。16世紀になると南米を侵略したスペイン人が、カカオ豆をヨーロッパに紹介したそうです。
ちなみにココアということばはカカオcacaoからきたもので、カカオはアステカ人(メキシコ)のカカウァトルが語源である。
↑ 見たことあると思います!
さらに、19世紀はじめにオランダ人のバン・ホーテンが、今日のような粉末のココアを開発。
19世紀後半にはスイスで板チョコの製法が開発され、ココアとチョコレートが明確に区別されるようになりました。
日本にココアが入ってきたのは、江戸時代の長崎が最初といわれます。
チョコレートの起源
ココアの原料であるカカオ豆。原産地はブラジルのアマゾン川流域、またはベネズエラのオリノコ川流域と言われています。最初、人々は他の果物と同様にカカオの果実を食べていたと考えられます。その時食べていたのは、果肉やパルプの部分で、タネ、つまりカカオ豆は捨てていたに違いありません。
ところがある時、偶然にも火が加わることによってカカオ豆がすばらしい香りと味を与えてくれることを発見します。その後カカオ豆を焼いてすりつぶし飲用するようになったそうです。
ココアのルーツは?
王侯貴族の“高級ドリンク”
14世紀に成立したアステカ王国では、カカオ豆は「ショコラトル」という名称のドリンクとして、王侯貴族の間で普及していました。収穫したカカオ豆を積み重ねて発酵させた後、乾燥・焙煎させます。焙煎されたカカオ豆は石の上ですり潰され、ペースト状にします。
このカカオペーストにバニラやコショウ、薬草などが加えられ、ときにはトウモロコシの粉が加えられることもありました。そのままでは苦味が強いのでトウモロコシを加えて、マイルドな飲み口にしていたようです。 加工されたカカオ豆のペーストは大きな葉の上にのせられ冷やして固められます。後は飲むときに必要な分だけ削ったり砕いたりしてお湯か水に溶かし、飲料として楽しまれました。
つまり、固形のまま食べることができる現在のチョコレートがここに誕生したのです。 その後はココアは「飲むチョコレート」として、固形チョコレートは「食べるチョコレート」として、それぞれの道を歩んでいくことになるのです。
最後に
嗜好飲料はいかがでしたか?なんかパッと!これ!って来なかった方もいるのではないでしょうか!記事を書きながら、どうなんだろうと思いましたが、歴史とともにやってきた飲み物。
やはり日本は外国に頼ったおかげで色々なものが現在にあるのかな!って思いました。
なんか豆知識的な感じでお役に立てば幸いです。