ロシア料理といえば真っ先に挙がるのが、欧米でもロシア風サラダとして親しまれている、このポテトサラダ。さいの目切りにしたじゃがいもやにんじんのほかに、鶏むね肉やピクルス、ゆで卵など具だくさんなのが楽しい。
まずはレシピ!?
鶏むね肉* | 100g(ゆでてさいの目に切る) |
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じゃがいも | 1個 |
にんじん | 1/4本 |
玉ねぎ | 1/8個分(粗みじん) |
きゅうりのピクルス | 1/2本分(大きめのもの。さいの目に切る) |
ゆで卵 | 適量(みじん切り) |
イタリアンパセリ | 適量(みじん切り) |
マヨネーズ | 大さじ3~4 |
砂糖 | 少々 |
酢 | 少々 |
塩 | 少々 |
胡椒 | 少々 |
あれ?これ!なんか思い出すレシピなんですが・・・・。
読み続けるとわかる!なんと!
オリヴィエ・サラダ
19世紀とともに消えてしまった幻のサラダ。
オリヴィエさんは、そのサラダの作りかたを明かさないまま、亡くなってしまいました。
彼が亡くなると同時に「オリヴィエ・サラダ」は、誰にも再現できないものになり、幻のレシピとなってしまったのです。
その後、オリヴィエ・サラダを再現したサラダが作られたが、それもどこまで信じてよいかがわからないそう。
どんな料理?
刻んだ肉や野菜とマヨネーズで作るロシアのサラダ。
首都サラダやロシア風サラダと呼ばれることもあります。
歴史
1860年代、モスクワにあったレストラン「エルミタージュ」の経営者でありシェフだったリュシアン・オリヴィエによって開発されたサラダです。
ロシアは気候の関係で新鮮な野菜を食べられる時期が短かったため、野菜にドレッシングをかけて食べるサラダがほとんど存在しませんでした。
しかし、1800年代に変化が訪れます。
フランスのマヨネーズが各国で知られるようになり、この頃のロシア貴族階級はフランスの文化を好んでいました。
そんな時代にエルミタージュが開業し、貴族階級のためにこのサラダが誕生したのでしょう。
ドレッシングのレシピは現在も明かされていないのですが、刻んだ肉や野菜をマヨネーズかそれに近いもので作ったのだと思います。
普及
とあるシェフがドレッシングのレシピを盗むために、オリヴィエのキッチンに侵入しました。
レシピは得られなかったようですが、推測することはできたのでしょう。
彼はそのレシピでサラダを作って提供したほか、レシピを出版社に売却しました。 これがきっかけで各国にロシア風サラダとして知られるようになったのです。
時代と共に一般的なレシピが変化していき、現代では無数のバリエーションが存在します。
日本のポテトサラダの歴史
ジャガイモもサツマイモも江戸時代初期に伝来しているが、江戸時代に「甘藷百珍」 が出版され親しまれたサツマイモと異なり、ジャガイモは、窮乏食のイメージが強 く、関本らによれば大正昭和初期に至っても『「空腹を満たす」「温まる」等生理的欲 求の充足を強く期待されている。』と指摘 されている。
節米素材として使われ、戦前の料理本を見ても、和食では、まともな 料理名は少ない。
1980年代
ようや く恥ずかしくない素材として「肉じゃが」 が「名もない料理」から家庭の和風料理の代表としてのその地位を向上させた。
山間部などに残る在来品種
粘質の小イモを味噌や醤油の田楽系に使用するハレ の料理の里芋の立場の品種は大事にされたが、空腹を満たすためには、収量や栽培 条件に優れる品種に淘汰されたものと考えられる。
地位が低い和食と異なる明治以降導入された西洋料理の料理本でジャガイモはサラダをはじめ様々な料理方法が紹介されている。
当初は、日本風にはアレンジ されず、本来のレシピのまま翻訳されている。
西洋野菜の入手が困難
パセリやディル の代わりにセリやミツバを使ったと思われ るレシピや、アスパラガスの代わりにウド を使用したと思われるレシピも存在する。
20世紀初頭には、搾油と精製技術が急速 に進歩し植物油の一貫生産が始まり、植物 油脂の消費が拡大した。アメリカでは、 1912年にドイツ系のヘルマンがマヨネーズ の商業生産を開始し急速に広まった。
じゃがいもは観賞用!マヨネーズはポマード!?
「日本のポテトサラダ史」。
それを語る上で欠かせないのが“じゃがいも”や“マヨネーズ”との出会い。
日本にじゃがいもが伝わったのは、江戸幕府が開かれる5年前、1598年のこと。
オランダ人が長崎に持ち込んだのがはじまりでした。
芽に毒があったことから!?
当時は“観賞用植物”とされていたのだとか。その後、様々な品種のじゃがいもが日本に持ち込まれ、明治時代には北海道開拓をきっかけに栽培されるように。男爵やメークインが作られはじめました。
また、日本のポテサラに欠かせないマヨネーズはスペインが発祥。
1756年
イギリス領だったスペイン・メノルカ島に攻め入ったフランス人公爵が、港町・マオンのレストランで、勝利の祝いにと、クリームと卵で作ったソースを使った料理を出すように指示します。しかし、その店にはクリームがなく、オリーブオイルで代用。
そのソースをいたく気に入った公爵はパリに戻り、「マオンのソース=マオンネーズ」として紹介。
西洋料理からお惣菜へ。今やすっかり国民食!
実はマヨネーズを使ったポテサラが誕生する以前に、日本にはポテサラ風の料理が誕生していました。
明治29年発行の「西洋料理法」という本には!?
「茹でて薄切りにしたじゃがいもにレタスの葉を混ぜてドレッシングを添える」といった調理法が、明治43年発行の「西洋料理教科書」には「薄切りにした茹でじゃがいもに、スライス玉ねぎをのせ、からしを加えたドレッシングで和える」というレシピが紹介されています。
つまり、ポテサラ黎明期の味付けはドレッシングでさっぱりといただくのが主流でした。
大正時代には!?
帝国ホテルなどの高級ホテルでも作られるようになり、徐々にドレッシングだけのものから、ドレッシングとマヨネーズを両方使ったもの、マヨネーズオンリーのものへと発展していきました。
また、黎明期の具材はシンプルでしたが、昭和に入ると徐々に具材も豪華に。明治期に伝来し、角切りの野菜をマヨネーズで和えたフランスの「マセドニアンサラダ」や、帝政時代に誕生したロシアの「オリヴィエサラダ」などにヒントを得て、野菜やゆで卵、ハムなどを加えるスタイルができあがったと言われています。
特にじゃがいもと鶏肉などの肉類、茹で玉子、グリーンピースなどがマヨネーズで和えられた「オリヴィエサラダ」は、日本のポテサラによく似ており、原型とも言われています。
さまざまな歴史の変遷を経て、日本で独自に進化したポテサラ。
各国に似た料理はあれど、日本ほど手間暇かけ、多彩にアレンジされたポテサラはないのではないでしょうか。そのうち、「鮨、天ぷら、ポテサラ」といった具合に、日本を代表するメニューとして知られる日が来るかもしれません!