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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

寒い時に食べたくなる食べ物、小腹が空いたら1、2個食べたくなる

寒くなってくると気になるのが、コンビニのレジ横で見かけるアレ。白くてホカホカの生地に熱々のお肉が入ったアレ。食べたくなりますよね〜。
ところで、皆さんは何と呼んでいますか?

 

中国の[饅頭]が日本の「まんじゅう」

日本で一般に「中華まん」としてイメージされる具の入ったものは、中国では包子(パオズ、バオズ)と呼ばれています。
現在の中国で饅頭(マントウ)といえば、小麦粉の饅頭の皮の部分だけで具の入っていない一種の蒸しパンで長崎の卓袱料理の一品でトンポーローを包む饅頭に似ています 。

 

中華まんの起源

中華まんじゅうの起源は、中国の三国時代(220年頃)、名将・諸葛孔明が作らせたことで知られています。
孔明は南蛮征伐の帰途、川を渡ろうとしましたが、風雨のため川が氾濫し渡れません。川を静めるためには、人頭を水神にささげ祭るという信仰に従わなければならないのですが、戦いで失われた人命をこれ以上損うことができなかった孔明は、それに代わるものとして小麦粉を水で練って皮を作り、羊と牛の肉を包んで、人頭に似せたまんじゅうを作りました。これを水中に投じたところ、見事に風雨が静まったという話が残っています。
このまんじゅうが肉まんの始まりとされています。
 

「天下一品支那饅頭」の発売

中村屋での中華まんの発売は1927(昭和2)年、「天下一品支那饅頭」という名称で売られ、肉入りが1個6銭、餡入りが4銭でした(当時は肉まん、あんまんとは言いませんでした)。発売のきっかけは創業者 相馬愛蔵・黒光夫妻の中国への旅行です。

1925(大正14)年、相馬夫妻は中国へ旅行に出かけ、そこで初めて包子(パオズ)というものを味わいます。この時食べた包子は中国人向けの味付けで、夫妻にとっては油っぽくてしつこく、決しておいしいものではありませんでした。

しかし、日本人好みのあっさりとした味付けに仕立て直せばきっと売れると確信した愛蔵は帰国後、改良にとりかかります。

生地の改良に随分苦労したようですが、中国人の職人を雇いノウハウを吸収し、1927(昭和2)年に発売します。それまではごく一部の中華料理店でしか食べることができなかった中華まんじゅうは、これ以降、一般の人にも親しまれるようになったのです。

 

饅頭(マントウ)誕生の話

3世紀の三国志(中国三国時代)の蜀の宰相諸葛亮孔明は南征の帰りに川が氾濫して渡ることができませんでした。
当時の中国では氾濫を沈める為に川の神の為に人身御供(人柱)を立てて、人の首を川に沈めると言う風習があり、部下を犠牲にできない孔明はその代わりに、小麦粉で練った皮に肉を詰めそれを人間の頭に見立てて川に投げ込んだところ、川の氾濫が静まった事から、この料理が始まったとされています。
その後、饅頭(マントウ)は、川に投げ入れるのももったいないので祭壇で祭った後、食べられる様になり段々小さくなりました。

 

日本への伝来

日本の饅頭は、1349年に禅宗の僧と一緒に中国から渡来した元の林浄因が奈良に伝えたと言われています。林浄因は禅宗のお茶と一緒に食べる菓子として饅頭を使う事を考えましたが仏教では肉食を禁じられていたため、代わりに小豆を使った饅頭を考案し、これが日本の饅頭のルーツとされています。

その後、林浄因は、奈良で塩瀬と言う店を立て評判になり、日本に定着したのち餡や皮の製法にさまざまなバリエーションが産まれ様々な饅頭が作られる様になりました。

現在、林浄因は饅頭の祖として、奈良市の林神社に祀られています。

 

中華まんの日

1902年(明治35年)1月25日、北海道旭川市で日本最低気温-41℃が記録されたことから温かい中華まんを食べるのに最適ではないかということで、1月25日が「中華まん」の日として制定されました 。

 

西のぶたまん、東の肉まん

日本の東側で「肉」といえば、食肉全般を指しますが、西側ではそれぞれに牛肉は「肉」豚肉は「豚肉」鶏肉は「かしわ」と呼んでおり、 「肉まんと」いえば「牛肉」が入っていることになり、豚肉が入っているまんじゅうは、やはり「豚まん」と呼ぶのがぴったりということです。

「肉まん」「豚まん」の違いと同様に、お好み焼きの場合も牛肉と玉子入りは「肉玉」、豚肉と玉子入りは「豚玉」と呼んでいます。

 

 

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