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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

フランス料理とレストランの歴史

レストランって何でしょう。いつから始まり、どうやって今の形になったのでしょう。
レストランが生まれたフランスを中心に、その歴史を振り返りましょう。

 

古代の人々

火を起こすことを覚えてから、肉や魚を炙って調理するようになりました。
偶然に発酵による味の変化を知り、パン、ワイン、ビールなどは古代エジプト時代に既に発明されました。

古代ギリシャでは化学、芸術、哲学と同様に料理も重要な文化でした。地中海貿易からもたらされた食材があふれた美食の時代で、今以上にあらゆる物を食べていました。

マゲイロスと呼ぶプロの料理人がいて料理書も書かれていたようです。

 

古代ローマ帝国

領土の拡大とともにギリシャやオリエントの食材が入り、早くから美食文化が栄えました。裕福な権力者は欲望に任せて贅沢な食事をたっぷり取るのが習慣で、臥台に横たわって指でつまんで食べる、臥食の饗宴が行われたと言います。

 

中世11~15世紀前半

文明の中心がフランスに移り、王族・貴族の居城で催される晩餐会文化が花開きます。お抱え料理人たちが多様な料理を派手な大皿に飾り付け、見て食べて楽しみました。

料理史上初の偉大な料理人、タイユヴァンが活躍した時代で、著書「ヴィヤンディエ」は料理の聖書とも言えます。冷蔵技術が無いため、肉や魚には腐臭をごまかす香辛料がたくさん使われ、酢を加えた酸味のあるソースで仕上げていたようです。

街にはタベェルヌという居酒屋や、オーベルジュという簡易宿屋兼料理屋がありました。

 

15世紀後半~17世紀前半

ルネッサンス期。フランスのアンリ2世にイタリアのカテリーナ・デ・メディチが嫁ぎ、カトラリー、陶器、ガラス器と、菓子職人を持ち込み、ヨーロッパ全土に広まりました。カテリーナは大きな砂糖菓子(ピエスモンテ)やお菓子を飾って食べ、寸劇や音楽を楽しむ「コラシヨン」を広めました。これがフランス菓子文化に貢献します。

 

近代17世紀後半~18世紀

「オート(高級)キュイジーヌ」料理の時代。王族・貴族の食卓ではより豪華な飾りが好まれ、野鳥や魚をそのまま象るモニュメントのような料理や、大きな飴細工、火や水や花火まで使うような過剰な演出が競われたようです。

一方で、素材に旨味を添えるフォン(出し汁)が生まれ、香辛料に代わってハーブやキノコの風味を生かす調理が始まります。これは現代フレンチの基礎となって行きます。

 

1789年のフランス革命後

お城のお抱え料理人たちがパリの街に散り、飲食店を開業します。

これが「レストラン」の始まりです。「Rest」は休息、安心の意で、レストランと呼ぶ体をいやすブイヨンスープを売った事からこの名が付いたと言います。

 

18世紀~19世紀前半

「グランキュイジーヌ」の時代。現在のルセット(レシピ)の原型も出来上がり、料理書がたくさん出版されます。アフリカから伝わった魔法の飲み物、コーヒーやショコラを楽しむ「カフェ」が大流行し、今に浸透しています。

 

19世紀後半のナポレオン帝政時代

偉大なるパティシェ兼料理人カレームが活躍し、フランスの食文化を大きく整理し、洗練されたものとしました。

カレームの後継者はヨーロッパ全土に大きく影響を与えます。

19世紀末には観光旅行と言う、新しい人生の楽しみが生まれます。ヨーロッパ全土とアメリカ大陸にまで、海辺の保養地、温泉場、観光地などには豪華レストランや、お城のように美しいホテルが生まれました。それはまるで失われた古き良き時代を再現したかのようでした。

 

現代20世紀の始まり

「ラ・ベル・エポック」と言われる最も洗練されたロマンティックな時代。天才料理人エスコフィエの時代です。彼が開業協力したロンドンの「サヴォイ」、ローマの「グランドホテル」、パリの「リッツ」は今も最高峰のホテルです。

また動くホテル「タイタニック号」の料理プロデュースもエスコフィエでした。その集大成によりフランス料理は名実ともに世界の王者に君臨し、地位を不動のものとしたのです。

その後の1960年代から始まり、1970年以降に確立するフランス料理の新しい流れを「ヌーベルキュイジーヌ」と呼びます。

料理人ミシェル・ゲラール著「太らない高級料理」が出版され、重いソースから軽いソースへ、飾った大皿料理ではなく、シンプルな個皿料理へと進化します。

現在のコース料理の流れやサービススタイルが確立され、食べ過ぎない、軽やかなフランス料理が現代の主流となったのです。料理の簡素化、加熱時間の短縮、新鮮な食材の追求など、「ヌーベルキュイジーヌの十戒」と呼ばれるルールは今に通じます。

スペインのタパスや日本の会席料理の影響で、多種な料理を少しずつ盛りつけて多い皿数で出す「ムニュ・デキュスタン」の新スタイルも生まれました。

ポール・ボキューズ、フレディ・ジラルデ、トロワグロ兄弟、そして天才ジョエル・ロブション、アラン・デュカス、ミシェル・ブラスなど、素晴らしい料理人達が時代を作り上げていきました。

 

*ポール・ボキューズ!昔フランスにいた時にポール・ボキューズのお店に行きましたが、ポール・ボキューズにスーツを汚された記憶が・・・・。わざとではありませんが、アブラギッシュな手で、肩に手を掴まれた!笑

 

「新しい料理の発見は、新しい星の発見よりも、
   人類の幸福に貢献した」
(19世紀初頭 フランスの美食家・サヴァランの言葉)

 

さて、日本のフランス料理とレストランの歴史についても少し。。。。。。

 

日本に宣教師が訪れ

キリスト教とともにワインやパンが伝わったのは安土桃山時代です。
南蛮貿易でオランダ・スペイン・ポルトガルの料理とお菓子が伝わり、新しい食文化がもたらされました。鎖国でいったん大陸の情報が遮断されて、再び開港した明治時代に、横浜、神戸、長崎、新潟、箱崎を拠点に外国人向けのホテルや西洋料理店が生まれ、フランス料理が伝わりました。

 

1870年

東京築地の外国人居留地に「精養軒ホテル」、続いて「上野精養軒」が誕生し、本格的なフランス料理を目指しました。1883年には欧化政策の極みともいうべき「鹿鳴館」が建ち、そこでは本格的な西洋式、西洋食のパーティが催されました。

 

1890年

世界の玄関「帝国ホテル」が誕生し、多くの外国人を迎えて、本格的なフランス料理文化が花開いたと言います。しかしその後、世界大戦への道を歩む中、日本のフランス料理界は冬の時代を迎えます。その後、悲惨な戦争が終わっても、有名ホテルは米軍に接収されたままで、フランス料理どころではありません。アメリカからもたらされた大衆的な洋食やファストフードだけが、時代を覆うかのように見えました。

 

日本フレンチが再び動き出すのは1960年前後

まずは衛生管理と調理技術の専門知識を持つ調理師を育てようと、「服部栄養専門学校」(1955~、現・服部学園グループ)の服部道政、「辻調理師専門学校」(1960~、現・辻調グループ)の辻静雄、「群馬調理師専門学校」(1962~、現・山崎学園グループ)の山崎秀冠らが大きく動きました。

そこから巣立ったたくさんのシェフたちが日本のフランス料理を創って行ったのです。(山崎秀冠は群馬県において食と教育に情熱を傾け、北関東初の調理師専門学校を設立。

 

また1964年にはその実践の場として

(株)レストランスワンを開業した初代社長。同校は今も名だたるシェフを排出。)1964年「東京オリンピック」開催に当たっては、世界のVIPのおもてなし料理としてフランス料理が必要となりました。「帝国ホテル」の村上信夫シェフ、「ホテルオークラ」の小野正吉シェフらを筆頭に、フランスから本格的なフレンチを学びました。

時代に尽くした当時のシェフたちのおかげで日本に本物のフレンチ文化が定着します。

 

1966年

銀座にフランスからやってきた有名レストラン「マキシム・ド・パリ」が開店します。グランドメゾン「ロォジェ」「レカン」と続き、日仏の食文化交流が始まりました。

 

*色々なお店からお誘いがありましたが、興味がなかったので辞退!笑

 

1970~1980年代

フランス修業帰りの日本人シェフたちが活躍するレストランが次々と有名になります。(1988年にはスワンのフレンチ「現代仏蘭西料理 朔詩舎」も開店。)

 

1990年代

バブルと言われる経済の成熟期、1億総グルメの時代とも呼ばれ、テレビ番組「料理の鉄人」の影響もあり、名シェフのフレンチレストランが次々と誕生します。「クイーンアリス」(石鍋裕)、「ラ・ロシェル」(坂井宏行)、「KIHACHI」(熊谷喜八)、「シェ・イノ」(井上旭)、続いて「ひらまつ」(平松宏之)、「オテル・ドゥ・ミクニ」(三国清三)などです。

 

*クイーンアリスは私が少しお世話になったお店ですが、石鍋シェフの盛り付けは本当にすごい!何冊か昔の本も見ましたが、本当にすごい!味は・・・・・。ですが、女性が喜ぶ盛り付け!本当にすごい!盛り付けは!!!

 

1995年以降

イタリアンの名店も次々と登場しました。イタリア料理のフルコースを食べさせる店や、ワインと共に本格的なア・ラ・カルトを楽しむ店など、スタイルもさまざまです。バブル崩壊後の経済事情やライフスタイルのカジュアル化もあり、日本にイタリアンレストランと言う新スタイルが定着していきます。(スワンのイタリアン「リストランテ チィニョ」は1993年、時代に先駆けて開店。)

 

2000年代

スペインのカタルーニャ地方に生まれた小さなレストラン「エル・ブリ」(フェラン・アドリア)と、その薫陶を受けたシェフたちの活躍も有り、全く新しい調理テクノロジーと料理デザイン、グローバルな食材と手法による調理の流れが世界に普及し、日本にも新風がもたらされます。スパニッシュレストランも選択肢の1つとして定着しました。

その後は次々と、「ラトリエ・ドゥ・ジュエル・ロブション」(ジュエル・ロブション)、「ベージュ東京」(アラン・デュカス)、「ピエール・ガニエール・東京」(ピエール・ガニエール)など、外国人シェフプロデュースによる本格レストランが日本に開業。

一方で、パリで吉野建シェフの「ステラ・マリス」が1つ星を獲得するなど、シェフの活躍の場もユニバーサルになりました。(吉野建シェフは「タテル・ヨシノ」(芝パークホテル、銀座)のオーナーでもある)

 

*フランスにいた時にパリのタテル・ヨシノに少しお世話になりましたが、いい思い出が少ない・・・・・。当時支配人はイタリア人でしたが、彼はすごく良くしてくれた。感謝!
ソムリエはマッジで最悪!くそでした!まじうざい感じでしたね!笑
今でもむかつく!笑ま〜どうでもいいですが!
あまり良い噂は聞きませんが!

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