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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

カクテルとは

カクテルはミクスト・ドリンク(Mixed Drink)のこと。氷や器具を使って冷やしながら酒と何かを混ぜたり、あるいは温かい飲み物と酒を混ぜたりといろんな方法でつくられたものをカクテルという。

 


「Cocktail」という語が登場する古い文献としては、1748年にロンドンで出版された小冊子『The Squire Recipes』に載せられていたとされる。その小冊子には「ある酒に別の材料を混ぜて、新しい味をつくりだした飲み物」といったことが書かれていたらしい。おそらく18 世紀前半にはカクテルという言葉は使われていたと推察できる。


カクテルという語が掲載されている文献で現存している最古のものは1806年、アメリカのニューヨーク州ハドソン地区で発行されていた週刊新聞『The Balance and Columbian Repository』とされる。5月6日付けの紙面で「民主党候補者がcock tail を飲んで選挙戦を頑張って戦っている」と報じ、すると読者から「それはどのような飲み物か」という質問が寄せられ、5月13日の紙面で記者が回答している。
ちなみに日本では5月13日を「カクテルの日」としている。

 

簡単にいえば、ある酒に別の酒をミックスしたり、ソーダ水やソフトドリンクなど何かを加えて、新たな味わいを創作したものである。
カクテル=酒+何か(Something)
つまり、何気なく飲んでいるウイスキーの水割やソーダ水割(ハイボール)もカクテルになる。こうしたシンプルなミックスによってでき上がるカクテルもあれば、つくり手、飲み手の創意工夫によるさまざまな何かと組み合わせて生まれるカクテルもある。
組み合わせは自由であり、それゆえに数えきれないほどのカクテルが誕生していく。

 

 

語 源

いつ頃、どこで、どのようにしてこの言葉が生まれたか、となると定かではない。イギリス、フランス、アメリカ、メキシコなどいろいろな国での説が伝えられてはいるが決め手はない。
諸説ある中で、世界的なバーテンダーの組織、I.B.A(International Bartenders Association /国際バーテンダー協会)のテキストに記載されている説が一般に最もよく知られている。その説とは。

 

昔々(18 世紀初頭という説あり)、舞台はメキシコ、ユカタン半島のカンペチェ。この港町は優秀な船乗りや船大工がいることで知られていた。ある日、イギリス船が到着する。早速船員たちは上陸するとある酒場に入った。カウンターの中では少年がきれいに皮を剥いた木の枝を使ってミクスト・ドリンクをつくっていた。


その木の枝は、現在のマドラーやバースプーンの役割だったと想像できる。
船員のひとりが「それは何?」と少年に聞いた。船員はおいしそうなそのドリンクの名を知りたかったのだが、少年は使っていた木の枝のことを聞かれたと勘違いしてこう答えた。
「コーラ・デ・ガジョ(Cola de gallo)」
これは「オンドリのしっぽ」を言うスペイン語。皮を剥いた木の枝の形が雄鶏の尻尾に似ていたので、少年が愛称でそう呼んでいたのだとか。


コーラ・デ・ガジョを英語に直訳すればテール・オブ・コック(Tail of cock)。
それからミクスト・ドリンクをテール・オブ・コックと言うようになり、やがてCocktail(カクテル)へと転じていったというもの。

かつて船は大陸間を結ぶ唯一の手段だった。荷を運ぶだけでなく、情報を伝え、文明・文化を伝えた。酒も荷であり情報でもあった。船員たちが世界の港町の酒場で未知の酒を知り、伝え、運んでいた。


カクテルも港から港へとレシピが伝えられ、人気の高いカクテルが内陸の町へも知られるようになり、スタンダードとなっていった。19世紀末からの豪華客船の時代はとくにそうだった。

コーラ・デ・ガジョと少年が答えた昔が、いつの年代かは定かではない。しかしながらテール・オブ・コックがミクスト・ドリンクを指す言葉として世界の港、港に口伝で広まり、カクテルという共通語となっていったとしても不思議ではない。

 

歴 史

古代ローマではワインの水割が一般的な飲み方だった。古代エジプトでは、ビールにハチミツやショウガを加えていた。紀元640年頃の中国(唐)ではワインに馬乳を加えた乳酸飲料が飲まれていたと伝えられている。
古くから人間は酒に何かをミックスして味わっていた。いまのような原料品質や製造技術の科学的見地など備わっているはずもなく、酒自体がストレートで味わうに適した酒質に達していなかったせいでもある。また風味の補正とともに、加える材料によっては劣化を防ぐための保存手段でもあっただろう。
9世紀のドイツでは大鉢(ボーレ)に白ワイン、薬草、果物、砂糖を加えたものが飲まれていた。


12~17 世紀

ヨーロッパでは冬季の寒冷化が起こり、ホットドリンクが盛んに飲まれるようになる。ワインに関していえば、大きな鍋に薬草とワインを入れ、火で焼いた剣を鍋に入れて温めて飲んでいた。中世はミルク割の時代ともいえる。つまり人は昔から身近な営みの中にある材料を酒にミックスしていた。

 

1630年頃

ドイツのボーレ(英語=Bowl /ボウル)に似たカクテルがインド人によって生まれた。それがパンチ(Punch)で、ミクスト・ドリンク普及のひとつのきっかけとなる。
蒸溜酒のアラックをベースに、砂糖、ライム、スパイス、水の5つの材料を大きなパンチ・ボウルに入れてミックスしたもので、注ぎ分けて飲む。パンチは「5つ」を言うインド語のパンジ(Panji)が、英語に転訛されたものだとされる。

これがインド在住の東インド会社のイギリス人(1658年に彼らが考案したという説もある)に好まれ、やがてイギリス本国へ伝わり、家庭に入り込む。ベースの酒をワインやラムといったものに代え、レモンやライム、その他のスパイスなどを加えてアレンジして、パーティーで供されるようになった。そしてインドに比べて寒いイギリスでは温めたホット・パンチが主流となる。

 

日本でのカクテル

日本は明治の欧風化の波に乗り、カクテルも渡来するが、一般市民が実際に口にするようになったのは街にバーが誕生していった大正時代からになる。それまでは鹿鳴館や横浜といった海外航路の船が出入りする港町のホテルなど、限られた人たちが集まる場所での、特別な酒であった。


昭 和

東京、大阪をはじめとした大都市でバーが続々と誕生したが、バーでカクテルを嗜むのは富裕層に限られていた。その灯も太平洋戦争により消える。
戦後、1950年にトリス・バーが誕生した頃より再びカクテルも注目を浴びる。しだいに酒類も豊富に揃うようになり、急速にカクテル・ファンが拡大していく。また音楽や映画と同じく、カクテルもアメリカの流行の影響を受けながら日本人の舌に馴染んでいく。とくに60年代半ばから酒場での時間を愉しむ女性が増え、カクテル人気に貢献する。
70年代はアメリカの影響を受けて、ライト感覚な味わいが人気となるが、海外旅行ブームの到来によりトロピカルカクテルがたくさん紹介されもした。

 

80年代以降

スタンダードカクテルとともにソーダやトニック、ジュース割といったシンプルなカクテルが愛され、90年代後半から現在はそれにフレッシュ・フルーツを使ったカクテルが加わり、多彩な風味を満喫できるようになった。
特筆すべきは日本のバーテンダーの高い技術とサービス。名店が生まれ、名バーテンダーが数多く輩出されており、洗練された技術としなやかな接客は世界的にみてもトップクラスといえよう。

 

 

japan-eat.com

 

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