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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

今更聞けない!世界三大美酒 12

世界三大美酒とは!この三大美酒の内訳はと言うと!ワイン、紹興酒、日本酒です!
ただし、これには諸説あり、スコッチ、コニャック、紹興酒とする説もあります。
しかし今回はワイン、紹興酒、日本酒で紹介させていただきます。。

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紹興酒

中国のお酒で良くその名を聞く「紹興酒」は、日本の純米吟醸酒、フランスのワインとならんで「世界三大美酒」と称されています。脂っこい中華料理に良く合い、料理の味を引き立てるだけでなく、悪酔いしないお酒と言われていわれています。とはいえ、実はどんなお酒なのかその由来や成り立ちを知らない方も多いのではないでしょうか?

中国のお酒はその原料と製法により白酒(パイチュウ)・紅酒(ホンチュウ)・黄酒(ホアンチュウ)に分けられています。

白酒は穀物を原料とする蒸留酒、紅酒は果実を原料とする醸造酒、黄酒はもち米を原料とする醸造酒で、紹興酒は黄酒の一種です。

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紹興酒は、上海の南に位置する浙江省(せっこうしょう)のその名も「紹興(しょうこう)」地区の特産品。紹興は中国が生んだ文豪魯迅(ろじん)の故郷としても知られています。

本来の「紹興酒」は紹興で作られたもののみを差し、それ以外の場所で作られた黄酒は紹興酒を名乗ることはできません。

紹興酒というのは、フランスのシャンパーニュ、日本の壱岐島で作られる壱岐焼酎と同じ産地呼称の1つなのです。

紹興酒の歴史

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登場するのは約2,400年以上前の春秋時代(紀元前722~481年)です。
当時の「呂氏春秋」という書物には、越王である勾践が、呉に攻め入る際に、長江にお酒を投げ入れる必勝の儀式をして兵の士気を高めたという記述が残っており、この時のお酒が紹興酒であったと言われています。

これ以降も紹興酒は中国の様々な書物に登場にします。例えば、王羲之の「蘭亭集」は東晋時代(317~420年)の宴で詠まれた詩を集めた刺繍です。

その序文に述べられている宴の様子には、紹興酒の盃を曲水に浮かべて流し、自分のところに流れ着くまでに詩を作ることが出来なければその盃を飲み干す必要があったことが記されています。

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さらに、明の時代(1368~1644年)の「酒史」には紹興酒が本格的に盛んに作られるようになったのは宋の時代(960~1279年)からです。

当時の紹興酒は蓬莱春酒と呼ばれ、皇帝や大臣など高貴な方への贈り物として、一般のお酒とは別格の扱いになっていたこと、そして紹興酒を売り出す中秋の時期には、当時の都であった杭州においてパレードが開催され、それを見ようとする人々で人垣ができて賑わっていた様子も記されています。

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また、紹興では女の子が誕生して3日目の産湯を使われる際に送られたもち米で黄酒を造り、1ヶ月目にあたる満月の日にその甕を地中に埋めると言う風習がすでに4世紀初めの晋の時代からあったということが「南方草木状」という書物からわかっています。

これは、娘が成長して嫁ぐことが決まってから甕を地中から掘り出し、嫁入り道具として「一生幸せな人生を送れますように」という願いをこめて彫り物師の手で彫刻して、美しい彩色が施して持たせるものです。

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これは“女児酒“もしくは”花彫酒“と呼ばれました。現在では、残念ながらこの風習は失われていますが、古い極上の紹興酒である陳年花彫酒と言い、その美しく絵付けされた甕にその名残を見ることができます。

 

老酒(ラオチュウ)

黄酒を長年熟成させたものを老酒と呼んでいます。
よく混同されがちですが、紹興酒を長年熟成させると老酒の一種になりますが、黄酒であれば長期間熟成させたら老酒になるので、紹興酒のみを差す言葉ではありません。

知れば知るほど奥の深い紹興酒の長い歴史に想いを馳せながら、中国料理と共に味わうと、またひときわ美味しく深みのある味わいを感じるのではないでしょうか?

ワイン

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ワインはブドウ果実を原料に造られているもの。ワインの歴史は、ブドウの歴史でもあると言われています。その歴史の始まりは、一説には紀元前8000年ごろともいわれています。

このころには、コーカサス山脈(現在のジョージアのあたり)でワインがすでに飲まれていたと考えられています。

紀元前8000年といえば、世界中でまだ石器が一般的に使われていた時代。日本の歴史でいえば縄文時代です。そんな昔からワインが存在していたなんて驚きですね!

文献上でワインの醸造が初めて登場するのは、紀元前5000年ごろのことです。

このころに起こった出来事をシュメール人が書き綴ったメソポタミア文明最古の文学作品である「ギルガメッシュ叙事詩」に、洪水対策の一環である船の建造に携わった労働者にワインが振る舞われたと記されています。

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また、紀元前5000年ごろのものと思われる遺跡から、ワイン造りで必要な果汁を絞るための道具だと考えられる石臼が発見されました。

これは、紀元前5000年ごろにはワインの醸造が始まっていたと考えられる要因の1つです。さらに、ワインの原料となるブドウを育てるためのブドウ畑があった痕跡も残っています。

また、メソポタミアにほど近いエジプトでも、壁画などにワインを造るための道具が描かれていたことから、紀元前4000年代にワインが造られていたと考えられています。この時代にはビールの醸造も始まっていましたが、ワインはビールと比べて高級品だったようです。

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ワインはどうやって広がっていったのか

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メソポタミア、そしてエジプトで造られ始めたワインですが、紀元前1500年ごろにギリシャに伝わったと言われています。

ただ、紀元前3000年にはクレタ島やサントリー二島でワインが取引されていた証拠も見つかっているので、もっと歴史は古いかもしれません。

ギリシャ神話によれば、ワインをギリシャにもたらしたのは酒神ディオニソス(バッカス)ですが、実際には現在のレバノン周辺に住んでいたフェニキア人という民族によって伝えられました。フェニキア人によって伝えられたワインは、ギリシャ人によって盛んに造られるようになりました。

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そして、紀元前1100年ごろには、ギリシャは有数のワイン輸出国となったのです。また、古代ギリシャでは、ワインは飲用だけでなく、薬としても利用されていたとされています。古代ギリシャの医師で、医学の父とも呼ばれるヒポクラテスは、ワインについて解熱作用や利尿作用、疲労回復などの効果があると書き記しています。このことからも、古代ギリシャにおけるワインの役割は、飲んで楽しむためのものだけではなかったことがうかがえますね。

人類初の文明であるエジプト文明やメソポタミア文明ではワインが造られており、その後発展するギリシャへと伝わります。また、世界で2番目に古い法典であるハンムラビ法典でも、酒癖の悪い人への規制としてワインが記されています。

このように、ワインの歴史は人類の歴史とも深いつながりがあるのですね!

 

ワインがヨーロッパに伝わる

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ワインといえば、ヨーロッパを思い浮かべる人も多いでしょう。フランスやイタリア、スペインなどは、ワイン生産国として有名ですよね。

では、これらの国々でワインが造られるようになった経緯をたどってみましょう!

紀元前600年頃、ギリシャ人の一部が南フランス・マルセイユ地方に移り住んできました。このときに一緒に伝わってきたものの1つがワインづくりだったのです。
そして、この地に伝わったワインづくりは、そのころ勢力を強めていたローマ人の手によってヨーロッパ全土に広げられます。

特にローマ帝国の英雄、ジュリアス・シーザーのローマ軍侵攻は、フランス各地にワインづくりを普及させることになったでき事としても有名です。

そして、2~3世紀ごろには、現在でも有数のワイン生産地である「ブルゴーニュ」「ボルドー」「シャンパーニュ」などにブドウ栽培が伝わっています。古代フランスでは、すでにブドウ栽培からワイン醸造に適した環境が整っていたのですね。

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さらに時が流れて西暦1000年ごろの中世ヨーロッパでは、ワインは単なるお酒ではなくなります。中世ヨーロッパの歴史はキリスト教が中心。政治にも必ずキリスト教が関係してきますし、人々の生活にもキリスト教は深く関わっています。

 

ワインも例外ではありません。ワインは「キリストの血」とされ、神聖で貴重なものとされてきたのです。

当時の教会や修道院は、学校や研究所といった役割も果たしていたため、ブドウ畑を開墾したりワイン醸造の技術を高めたりと、ワイン造りに注力しました。

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このような動きもあり、17世紀頃には、現在のワインの販売形態に近い「ビン詰め・コルク栓」のワインが登場するようになり、ワイン造りが発展したのです。フランスを中心として発展したヨーロッパのワイン造りは、16世紀になると世界中に広がりました。いわゆる大航海時代です。ブドウは地域性が強く出るので、産地によってさまざまな味のワインができ上がります。現在の世界各国の多種多様なワインは、この大航海時代あってこそのものなのですね。

 

日本酒

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日本におけるお酒の歴史
日本酒の歴史を紹介する前に、そもそも日本ではいつからお酒が飲まれているのだろうか?

実は縄文時代から、日本ではお酒が飲まれていたと言われています。というのも、長野県八ヶ岳の山麓にある遺跡から、ヤマブドウの種が入った縄文式土器が発見されたのだ。このことから、日本では縄文時代から果実酒が飲まれていたのではないかと推測されている。

つまり日本で最初に飲まれたお酒は、意外にも日本酒ではないかもしれないというわけです。

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日本のお酒に関する最古の記述は、諸説ある。1つは、1世紀頃に書かれた中国の思想書『論衡(ろんこう)』だ。もう1つは3世紀末の中国の史書『魏志倭人伝』である。とはいえ、原料などの記載はなく、どんなお酒だったのか詳細は不明です。

日本の書物にお酒が登場したのは、奈良時代に書かれた日本最古の歴史書『古事記』(712年)です。日本神話の神である須佐之男命(すさのおのみこと)が、八岐大蛇(やまたのおろち)を退治するために「八塩折之酒(やしおりのさけ)」を造ったと記載されている。

この八塩折之酒とは、仕込み水の代わりに酒を原料に使って、何度もくり返し醸造したアルコール度数の高いお酒のことだという。つまり酒で蛇を退治したようです。

しかし、ここでも原料は不明です。

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このように、日本には古代からお酒があったことはわかるものの、日本酒の起源は明確にされていない。とはいえ、稲作が始まった弥生時代から、すでにお米を原料としたお酒が飲まれていたのではないかと推測されている。

お米を原料に酒を造っていたことがわかる記述は、『大隅国風土記』(713年以降)にある。現在の鹿児島県東部に位置する大隅国では、口の中でご飯(穀物)を噛んで、唾液の中にある分解酵素のアミラーゼで米のデンプンを糖化させ、それを壺に吐き出し、溜めて発酵させる方法でお酒を造っていた。

これを「口噛み酒」と言う。酒を造ることを「醸(かも)す」と言うが、これは口噛み酒の「噛む」という行為が語源ではないかとする説もある。

また『大隅国風土記』と同時期に編纂(へんさん)された『播磨風土記』には、神様に供えた米が濡れて、麹カビが生えて甘くなったので、それを使って酒を造ったと記載されている。

酒税が財政源

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明治時代には、酒税が大きな財政源になった。そのため、1899年には酒類の自家醸造が禁止になる。一方で、1904年に国立醸造試験所が開設。乳酸を添加して醸造する「速醸酛」などの手法を開発したり、品質向上を目的とした全国新酒鑑評会を開催したり、国が日本酒造りに力を入れ出す。

また、今までは桶やかめで量り売りをしていた日本酒だが、水増しなどの不正を防ぎ、かつ衛生面にもいいことから「一升瓶」で販売するように。現在、日本酒といえば、一升瓶で販売されることが多いが、これは明治時代に始まった習慣なのだとか!

江戸時代後期、灘の酒が名実ともに日本一となったのは、江戸っ子を満足させる美味い酒を造る技術と、その需要に見合う供給体制のおかげでしょう。

歴史を振り返ると、灘酒が人気を博した理由として「西宮の水」「摂播の米」「吉野杉の香」「丹波杜氏の技術」「六甲の寒気」「摂海の湿気」が挙げられます。ここに「六甲山の急流」と「千石蔵による生産体制」を加えてもよいかもしれません。

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国内全域で酒造りが行われており、その種類だけでも相当なものですが、まず米の精米歩合によって格付けされています。歩合が最も低い大吟醸から歩合が設けられていない純米酒まであり、その中でアルコール添加の有無なども関わってきます。

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また、火入れの有無や度数など製造プロセスで異なる酒ができあがります。ちょうど中ほどのカテゴリーに当たる純米吟醸酒は日常でもよく口にしますが、甘口や辛口、度数などで風味が随分異なります。

製造過程でのポイントとなる格付けですが飲む人にとっては一口で分かるものではなく、むしろ口当たりや甘辛などのタイプで選ばれることが多いです。

最後に

いかがでしたか?少し歴史が多くなりましたが、ここでも中国勢が入ってきましたね。
それだけ色の関わりが深いということがわかります。
一つづつ歴史を見ても時代背景がはっきりとしており、まずはお金持ち?が優遇されるのはどの時代でも同じなのかもしれません。庶民のわたしのところにはやって来ないんだろうな〜って思いながら、、、、。

 

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