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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

『すき焼き』が日本の歴史を変えた!?すき焼きの歴史

日本で「すき焼き」を食べ始めたのはいつ?当時はどんな「すき焼き」だったの?
欧米で「SUKIYAKI」が広まったのはなぜ?
関東と関西で食べ方が違うのはどうして?などなど。
今日は「すき焼き」の知られざる歴史にせまります!


■日本で「すき焼き」を食べ始めたのはいつ?

日本では仏教の影響を強く受け、1200年もの間、たび重なる肉食禁止令が出されていました。室町時代後期の1549年(天文18年)に、フランシスコ・ザビエルが来航し、南蛮文化を伝えると一部の人々の間で、牛肉への関心が高まりましたが、牛肉を食べる習慣が復活したのは幕末になってから。日本が開国されて神戸、横浜などの居留地に外国人が住み着くと、牛肉の需要が増加しました。

しばらくの間、日本では牛肉を調達できなかったので、欧米や中国、韓国から仕入れ、船上で解体していましたが、1866年(慶応2年)には、神戸牛が横浜や東京に送られるようになりました。


■当時はどんな「すき焼き」だったの?

幕末の1867年(慶応3年)に江戸で最初の牛肉屋を開いた「中川」が、東京・芝に牛鍋屋を開業しました。当初、牛肉を食べることを嫌う人も多く、ほとんど客がいなかったそうです。

明治時代に入ると、牛鍋屋が次々とオープン。牛肉にネギを加え、平鍋で煮ながら食べる「牛鍋」は、関東で大流行し、文明開化のシンボルとなりました。牛鍋はシカ、イノシシ、ウマの肉を用いる紅葉(もみじ)鍋のアレンジ料理。当時の牛肉はかたく、当初の「牛鍋」は、獣臭をやわらげる味噌で味つけされるのが主流でした。欧米から伝わってきた牛肉を、日本の伝統的な調理法で食べるという、ハイカラな料理法が受け入れられたのです。

肉の質がよくなるにつれ、具にはネギだけでなく、豆腐、しらたきなどが加わり、味噌だけでなく、しょうゆと砂糖などを調合したタレで煮るなど、次第に改良されていきました。


■牛肉ブーム到来!!

1875年(明治8年)に「健康を保ち衰弱を復するには、牛肉が最適である」と『新聞雑誌』に記され、肉食が礼賛されると、牛肉ブームにますます火がつきます。

1877年(明治10年)には、東京にある牛鍋屋は550軒を超え、チョンマゲを落とし、ざんぎり頭になった開花の人で賑わいました。まさに文明開化ここにあり! 日本人が新し物好きなのは今も昔も同じ。屠牛頭数から計算すれば、明治の初頭の東京では、毎日1万5000人以上の人が、「牛鍋」を食べていたことになります。

仮名垣魯文(かながき ろぶん)の小説『安愚楽鍋』(1871年・明治4年)にも、「士農工商老若男女。賢愚貧富おしなべて、牛鍋食わねば開花不進奴(ひらけぬやつ)」とあるように、老若男女、金持ちも貧乏人もすべてがはまったというから、昨今のグルメブームとは比較できないくらいの最新トレンドメニューだったのです。

日本料理は銘々膳(めいめいぜん)がほとんどだったので、鍋を囲みながら、談笑する楽しさも新鮮に感じた人が多かったことでしょう。


■関東と関西で食べ方が違うのはどうして?

「すき焼き」はもともと関西言葉。

語源には諸説ありますが、農耕具の「すき」で、肉を焼いたという説が有力です。関西では魚を用いた「魚すき」「沖すき」といわれる料理が、牛肉を使った「すき焼き」よりも先に存在していました。

江戸時代中期の「素人包丁初編」にある、唐すき(刃の広いすき)やタイラ貝でハマチを焼き、しょうゆ、大根おろし、唐辛子を薬味にして食べる料理が、関西独自の「魚すき」。

関西で牛肉が使われる「すき焼き」が創作されたのは、明治時代になってからのことです。

東京で「牛鍋」が流行している頃、関西では「すき焼き」が流行していました。神戸市元町に牛肉すき焼き店「月下亭」が開店したのが1869年(明治2年)。大谷光瑞は『食』の中で、本当のすき焼きとは、

(1)扁平な鍋を使い

(2)油脂以外は鉄板の上に液汁を加えないで

(3)牛肉が炙熟したら椀のなかの調味に浸し

(4)肉がなくなってから、そ菜を入れて、牛肉の液汁と油脂で煎り、肉とそ菜は共存させない

と書いています。

1923年(大正12年)の関東大震災で、東京の牛鍋屋は被害を受け、多くの店が閉店してしまいました。その後、関東に関西の「すき焼き」が伝わり、「牛鍋」をアレンジし、わりしたを使って肉と野菜を煮込む、「関東風のすき焼き」ができ、一般に広まりました。

ちなみに、具を溶き卵につけて食べるのも関西の風習でした。アツアツの具を食べるときに、ヤケドしないように食べるための工夫だったようです。


■欧米で「SUKIYAKI」が広まったのはなぜ?

すし、天ぷらは世界に通じる日本料理ですが「すき焼き」も同じ。

1961年(昭和36年)に坂本九の歌った『上を向いて歩こう』は、1963年(昭和38年)にアメリカで『SUKIYAKI』という英語タイトルでヒットしました。日本語の歌がそのまま週間ヒットチャート第1位になったのはめずらしいことです。

当時のアメリカでは、フジヤマ、ゲイシャ、スキヤキがポピュラーな日本語でした。牛肉好きのアメリカ人にも、「すき焼き」は好評だったようです。

ちなみに、「すき焼き」が高級化したのも高度成長期の昭和30年代後半。ちょうどブランド牛が高級化していった頃でした。このような歴史を経て、「すき焼き」は、多くの人に愛されるごちそうとなったのです。


関西のすき焼きが関東大震災をきっかけに関東に広まり、もともと関東にあった「牛鍋」が更に進化をとげたものというは、なかなか知られていませんよね。

いまでは両方の食べ方が混在していますが、みなさんはどちらの食べ方をしていますか?

今夜は「すき焼き」を食べながらぜひ、この話をしてみてください♪



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