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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

卵!その歴史は! 1/2

今回は普段何気なく使っている卵についてです!

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エジプトの古文書によれば

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紀元前1500年ごろには、すでに鶏が毎日産卵していたという記録が残っています。この記録は、野鶏が産卵期に通常5個~10個程度のタマゴしか産まないことから考えると、当時すでに鶏が採卵用に品種改良されていたことを物語っています。。
また、ローマでもタマゴを多く産ませるために鶏の品種改良が2500年前には始まっていたという記録も残されています。その後、鶏は鳴き声や尻尾の長さを競うといった観賞用としても飼育され、商業用の採卵用養鶏が始まるのはなんと1850年代のイギリスと言われます。

原始時代の日本では

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残念ながら、原始時代の日本において卵を食べていたという文献などは見当たりません。
狩猟により、鳥類の肉も食べていたことから、巣で見つけた卵も食べられていたのではないかと考えられますね。

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日本に鶏は約2500年前、

中国から朝鮮半島を経由して伝えられています。

ここでも中国!


古事記には

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天の岩戸に隠れた天照大神の記述の中に、長鳴鳥=鶏を集めて鳴かしたとありますし、同書の垂仁条では本牟津別王のために鳥取部・鳥養部(鳥養は鳥飼・鳥貝とも記載されている)を定めたとあります。雄略天皇の頃には鳥飼部という養鶏専業の民が存在し、日本での養鶏が古くから行なわれていたことを伺い知ることができます。この当時、鶏肉は食用に、鶏卵は食膳や薬として利用されていました。しかし、675年に「牛馬犬猿鶏の肉を喰う無かれ、犯すものあれば罰する」という布告が天武天皇により出され、730年には「殺生禁断の令」が聖武天皇により出され、畜肉を食べる風習はなくなりました。
ただ、その後も鶏と兎は食べ続けられていたようですが・・・・・

 

一般的に、タマゴを食べるようになったのは

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江戸時代に入ってからのことで、タマゴ売りも出てきましたが、まだまだ庶民には手の届かない特別な栄養食で高嶺の華といえる存在だったようです。

 

いまでは、どこの家庭の冷蔵庫にも常備されているタマゴも、そうなったのは昭和30年以降のことです。この時代は食生活に対する日本人の意識が大きく転換し栄養改善普及運動も盛んになり、食生活の欧米化が一気に促されて、数々の栄養素の中でもタンパク質やカルシウムが重要視され、肉・卵・牛乳・乳製品を積極的に食べることが推奨されました。
その時に、「タンパク質が足りないよ!」をキャッチフレーズに、特にもてはやされたのがタマゴでした。

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「巨人・大鵬・タマゴ焼き」と子供に人気があるものの代表として称されたり、風邪気味になるとタマゴ酒、疲れた時には栄養ドリンク代わりの生タマゴ、遠足行楽旅行には欠かせないゆでタマゴ、温泉地名物の温泉タマゴ・・・・タマゴこそ健康の象徴、タマゴを食べていれば健康になれる、と信じて疑わない人が大勢いました。揚げ句に「ラン(卵)パク質」などという言葉まで登場した事にも、その時代を伺い知る事ができます。歴史的にも永く愛され続けてきたタマゴは、栄養価も高く、価格変動も少ない私達にとって最も身近な食材の一つなのです。

日本の江戸時代には 1

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昔話では、天岩戸(あまのいわと)に閉じこもった天照大神(あまてらすおおみかみ)がニワトリの鳴き声で出てきた、という話がよく知られています。
私たちの生活に身近なたまごですが、食べられるようになったのは江戸時代頃からだと言われています。ニワトリは紀元前100年頃に朝鮮半島から伝わりましたが、日本は仏教の影響で肉食を禁忌する風習があり、ニワトリが産むたまごもなかなか食用とされなかったようです。
生命のカプセルである卵を宇宙や地球に見立てて、これを食べるのは悪とする考えも生まれて、卵に対する信仰心や食べることに対する恐怖心(罰があたる)が広がりました。

 

江戸時代に入ると一般的に食べられるようになりました

卵に対する信仰心や恐怖心もなくなり、天秤棒の桶に卵を載せて「たまあーご、たまあーご」という売り声で街中を売り歩く「たまご売り」(行商)も現れました。
この頃には、たまご料理も色々作られるようになり、江戸時代の天明5年(1785年)に出版された有名な料理本である「万宝料理秘密箱」(まんぽうりょうりひみつばこ)という本の中にある「卵之部」(たまごのぶ)にある、めずらしいたまご料理の記載部分を掲載した「卵百珍」(たまごひゃくちん)が有名です。

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「卵百珍」では、103種類のたまご料理が紹介されていて、黄身と白身がひっくり返ったゆでたまごである「黄身返しのたまご」は、その中でも特に有名な料理です。

 

日本の江戸時代には 2

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江戸時代には、鶏(ニワトリ)のみではなく、「ホロホロ鳥」の飼育が行われていました。
ホロホロ鳥は、江戸時代末期にオランダ船が乗せてきたといわれています。その後、採卵や食鳥を目的として各地で飼育が試みられましが、熱帯の鳥であるホロホロ鳥の飼育は、季節変動のある日本では難しかったことから普及に至りませんでした。

2/2へ続く、、、

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