ヨモギの葉を餅に練りこんだ草餅の特徴は、その鮮やかな緑色にあります。
混ぜるヨモギの葉の量によって、薄い草色のものから濃緑色のものまで濃淡の程度は様々です。表面の艶々とした光沢は、ヨモギの新鮮さを表しており、見る者の食欲をかき立てます。
薄化粧のようにきな粉や餅粉を表面にまぶしたものもあり、上品さを演出しています。草餅の中には粒餡やこし餡を入れることが多いのですが、中には入れずに、草餅の上から餡で覆うタイプもあります。
餡に覆われた草餅は、おはぎを連想させ、口に入れる前もその甘みに期待が高まります。
草餅は、小さくてもずっしりと重量感があって、ひとつ口にするだけでも食べ応えがあります。普通の白い餅と同じように、餡を加えず四角に伸ばして焼餅にしたり雑煮に入れることもあります。
ヨモギは「魔除草」という別名を持つほど様々な有効成分を含む薬草とされ、もち米に練りこむことによって健康維持の効果もあると考えられていることも大きな特徴です。
歴史・由来
草餅のルーツは、餅に春の草を練りこむ食の習慣を日本に伝えた中国にあるようです。
平安時代から宮中行事の際に、貴族が食べていたという記録が残っています。かつては、キク科の母子草(春の七草のゴギョウ)を使用し、「母子餅」と呼ばれていましたが、やがて繁殖力が強く、薬効も期待できるヨモギに代わっていきました。
草餅は、江戸時代の頃から3月3日のひな祭りにお供物として食べられるようになりました。
春の和菓子として桃の節句に草餅が選ばれているのは、春の新緑を連想させるその鮮やかな緑の生地にあります。
また、ヨモギはとても生命力の強い植物で、根っこを引き抜いたつもりでも、またすぐ生えてきます。
そんなタフなヨモギにあやかりたいという願いをこめて、健康長寿を祈る人々が桃の節句のお祝いに草餅を供えていたと言い伝えられています。
風味・味
草餅をほおばると、みずみずしいヨモギの香りが口いっぱいに広がり、爽やかなヨモギの若葉の風味に魅了されます。
さりげなく香るヨモギと口当たりのよい生地の感触が、食欲をそそります。ヨモギの香りを楽しみながら生地を味わっていると、やがて餡が口の中に溢れて和菓子特有の控えめな甘さを楽しめます。
さらに、ヨモギのかすかなほろ苦い味が、餡の甘さをバランスよく抑える効果をもたらし、何個食べても飽きずに口に運んでしまいます。
適度に柔らかく、もっちりとした感触で生地の舌触りの良さは抜群です。
餡が入っていない場合は、生地に少しずつ餡を乗せて食べると、餡の量が多すぎず少なすぎず、自分の好みの甘さに調節できます。
桃の節句に備える菱形の草餅は焼いたり、やわらかく煮た後きな粉をまぶして食べると、ヨモギの香りがいっそう引き立ちます。
桃の節句(ひな祭り)と草餅の関係
3月3日の桃の節句(上巳の節句、ひな祭り)に、草餅を食べるという風習がありますよ。
なぜ、草餅を桃の節句のときに食べるのでしょうか?
平安時代初期にはすでに3月3日、つまり桃の節句のときにハハコグサの草餅を食べています。実は、桃の節句に草餅を食べる風習は中国から伝えられていました。
6世紀の中国で記された書物『荊楚歳時記 (けいそさいじき) 』には、3月3日にハハコグサの汁を蜜と合わせて粉に練ったものを食べる風習があったことが記されています。
ハハコグサには邪気払いの力があり、疫病にかからないとされていました。
また周王朝の時代、3月3日に草餅が献上されていたといわれています。
少なくとも平安時代初期には日本に伝わり、おもに皇室や貴族のあいだで3月3日にハハコグサの草餅がつくられていました。
その後、草餅はハハコグサからヨモギに変わりますが、ヨモギも邪気払いの力があるとされていた植物でした。
江戸時代になり、徳川幕府によって桃の節句は「五節句」として定められます。
そして桃の節句は庶民のあいだにも広まり、3月3日に草餅(よもぎ餅)を食べる風習が定着していったのです。
そのため桃の節句は、別名「草餅の節句」とも呼ばれるようになります。
また、江戸時代の桃の節句に子供たちがおこなった「ひな遊び」では、さまざまな飾りがありましたが、その中に草餅(よもぎ餅)を入れた絵櫃(えびつ)がありました。
幕末ごろには絵櫃は廃れ、代わりに菱台(ひしだい)に菱型の餅を飾るようになります。
餅は、草餅(よもぎ餅)を中心に白・青・紅、白・青・黄などがあり、三重または五重に飾られました。
これが現在ひな人形に飾られる「菱餅(ひしもち)」の起源です。