枝豆の特徴
つまり大豆が未熟な緑色の状態のときに収穫したものが枝豆です。
お酒のお供としても大活躍の『枝豆』が今回のお話です。
大豆としての歴史大豆の起源
大豆の起源地については東アジアに自生する野生種ツル豆が中国東北部で分化して誕生したと考えられていました。
しかし近年ではイネ(稲)と同じ中国南西部の雲南省とする説が合理的であるとする研究者が多く、正確には特定されていません。中国では古代から五穀(米、麦、アワ、キビまたはヒエ、豆)の一つとして大豆は栽培されており、文献的には、古代・周の時代の中国最古の詩篇「詩経(シキョウ)」(紀元前1046年)の中に、シュウ(大豆)が栽培され、煮て食べていたという記述があります。
このことから中国では4000年前から栽培されていたと考えられています。
日本での発祥は?
日本においては、縄文遺跡からツル豆、リョクトウなどの小さなマメは多く出土しており、大豆のような大きめの豆の出土はありませんでした。
しかし近年、出土した土器内部の植物圧痕として発見され、縄文中期から後期にかけては日本列島における存在が確認されています。
この時期以前に大陸から栽培種大豆がもたらされたか、あるいは日本列島において独自にツル豆からの栽培化が起こったか等の、可能性が考えられていますが、残念ながら正確にはわかっていません。
枝豆としての歴史食文化
枝豆(未成熟な大豆)として食べ始めた時期は定かではありませんが、奈良あるいは平安時代には食されていたのではないかともいわれており、江戸時代の中期の文献では、「大豆をサヤ葉の柔らかいうちから食べた」、「夏に枝豆売りの姿が町でみられた」などの内容の記述が残されています。
現在のように枝からサヤを外した状態ではなく、枝についたままの状態で茹でたものが売られており、当時はその状態で食べ歩いていることからファーストフードのような存在だったのではないでしょうか。
旧暦9月13日の月を「豆名月(マメメイゲツ)」とよんで、枝豆を供える習慣もこの頃から拡がったとされています。
世界に認知された「枝豆」
1991年に出版された 「New Crops」に「EDAMAME」がアジア特有の新作物として紹介されています。したがって、この時期までは一般的にアジア以外の諸国では食物としての「枝豆」は知られていなかったとみてよいでしょう。近年の健康志向に伴う日本食ブームや冷凍技術の普及により、2000年頃には北米、ヨーロッパ等海外でも塩ゆでした枝豆が食べられるようになり、「EDAMAME」と呼ばれ人気となっています。笑
枝豆の名前の由来
古くは庭先やあぜ道に栽培していたことから、「畦豆(アゼマメ)」と呼ばれていました。
その後、枝付きのまま売られ、食されていたことにより、「枝付き豆」と呼び、それが「枝豆」へと呼び方が変化したとされています。
枝豆 白毛豆(青豆)
国内で最も流通しており、癖がなく万人受けする一般的な種類の枝豆です。サヤのうぶ毛が白いものが多く「白毛豆」と呼ばれ、また種子の状態で、通常の大豆色もしくは薄い緑色をしたものを総じて「青豆」とも呼びます。主要産地は関東地方ではありますが、全国的に栽培されているのが特徴でもあります。一般的には、サヤは鮮やかな緑色、白色のうぶ毛が生え、節と節の間が狭く一つのサヤに2~3 粒の豆が入っているのが特徴です。早生か晩生、うぶ毛の色、粒の大きさ等の違いで様々な品種が存在します。
枝豆 茶豆
一般の枝豆は関東地方の生産が多いのに対し、茶豆は東北地方が生産の中心になります。外見は普通の枝豆ですがサヤの中の豆が茶色の薄皮を被っていることから茶豆と呼ばれています。2粒サヤが主体の品種であり、3粒以上のサヤはほとんどありません。収穫の時期は8月上旬から9月中旬と白毛豆よりもやや遅い品種が多く、白毛豆より糖類を多く含むため、強い甘味と独特の風味があり、茹でたてはスイートコーンに似た強い香りがするのが特徴です。
枝豆 黒豆
関西地方で多く栽培されており、京都の丹波地方等に代表される丹波の黒豆が有名ですが、一般的には正月用の煮豆等に使用されています。
枝豆としては、黒大豆が成熟して黒豆になる前の若いものを収穫します。サヤの中で黒くなる前の状態のため、サヤの中の薄皮がうっすらと黒みを帯びています。大粒の豆と黒豆特有の深い甘味と凝縮されたコクが特徴です。
旬は茶豆よりもさらに遅い9月下旬から10月中旬と収穫時期が短く、生産量も少ないため、あまり市場に出回ることはありません。
能書きはこの辺で
枝豆ご飯
つくり方
いかと枝豆、コーンのおとし揚げ
つくり方
※白身魚は、市販のすり身を使うと簡単にできる。
飲み過ぎ注意ですよ!