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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

体にも良い!ダイエットにも良い豆腐について 1/2

私たちにとって身近な食品である豆腐は、そのまま調味料をかけて食べられるほか、様々な 料理に用いられています。豆腐は、たんぱく質や脂質など体の基礎的な栄養素のみでなく、 体を調節して健康を維持増進させる食品としても注目されています。。

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豆腐の発祥

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豆腐発祥の地は、中国とされています。その起源は、西暦の紀元前2世紀、前漢の淮南王・劉安の創作にあるという説があります。これは、16世紀の中国の書「本草綱目」の中に〈豆腐は、漢の淮南王劉安に始まる〉と書かれていることが根拠となっています。しかし、豆腐について書かれた文献が唐の時代(618~907年)以降まで何もないことから、起源は劉安の時代ではなく、もっと歴史を下った唐代の中期という説もあり、定かではありません。ただ、少なくとも唐代中期頃には、豆腐は造られていたと思われます。
なお、淮南地方に関していえば、豆腐の別名として淮南術、淮南佳品等の呼名があるほか、この地(安徽省淮南市)では中国各地さらに世界からも関係者が集い中国豆腐文化節が盛大に開催されていました。

 


豆腐を食べる地域

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現在、豆腐を食べる地域は、中国から朝鮮半島、日本、さらに東南アジアにまで広がっています。日本と中国はともに「豆腐」と書き、朝鮮半島では「トブ」、ビルマ(現ミャンマー)では「トーフー」、ジャワ島でも「トーフ」というように、多少のなまりはあっても、ほぼ共通した呼び名が使われています。

豆腐のルーツが中国であるのは一般的ですが、いつごろ、どこで誰が発案したのかについては、実のところわかっていません。

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中国の古い文献を探ってみると、2000年ほど前に淮南の王であった劉安であるという記述が出てきます。明の李時珍が著した『本草綱目』の中に「豆腐の法は漢の淮南王劉安に始まる」とあるのがそうです。この本は、今日でいえば百科事典のようなもので、当時の文化人の必読書のような存在だったもの。この著名な本に記載されていたために「豆腐淮南王説」が広く普及したものと考えられています。このほかにも多くの書物にも「淮南王説」が出てきますが、本当のところ、この説は疑問が残るところなのです。

というのも、劉安の時代の中国には、まだ豆腐の原料となる大豆が存在しなかったからです。中国に大豆が入ってくるのは、この時代から半世紀もたってからでした。

また、著名な学者であった劉安は哲学書『淮南子』などの著作を残していますが、彼が書いた書物からも、豆腐の文字は出てきていません。しかし、『本草綱目』の影響からか、「淮南」や「淮南佳品」という言葉は、中国では豆腐の別称として残っています。

このように明確なルーツは謎のまま。しかし、豆腐ができた経緯を想像してみると、滋養に富む大豆をどのようにして食べるかを模索した結果、豆乳という形態が一番消化がよいことを経験から知っていき、これに塩味を加えて調味して豆腐の原形が生まれたのでは、と推測されます。つまり、最初から今のような製法があったのではなく、いろいろ試すうちにしだいに今日のような豆腐が作られてきた、というわけです。

 

日本への伝来

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古くは奈良時代(710~784年)に、中国に渡った遣唐使の僧侶等によって伝えられたとされていますが、明確な記録はありません。豆腐が記録として登場したのは、寿永2年(1183年)、奈良春日大社の神主の日記に、お供物として「春近唐符一種」の記載があり、この「唐符」が最初の記録といわれています。いずれにしてもわが国で豆腐が造られたのは、奈良・平安時代からといえそうです。

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当初は、寺院の僧侶等の間で、次いで精進料理の普及等にともない貴族社会や武家社会に伝わり、室町時代(1393~1572年)になって、ようやく全国的にもかなり浸透したようです。製造も奈良から京都へと伝わり、次第に全国へと広がっていきました。

 

庶民への生活へ

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本格的に、庶民の食べ物として取り入れられるようになったのは、江戸時代です。天明2年(1782年)に刊行された豆腐料理の本「豆腐百珍」は、爆発的な人気を呼び、翌年「豆腐百珍続編」、翌々年「豆腐百珍余禄」が出版され、当時ブームとなった料理本〈百珍物〉のさきがけとなったといわれております。当時の豆腐の普及ぶりがうかがえます。
その後、豆腐は全国の津々浦々まで普及し、今日では健康食品、ダイエット食品としても注目され、広くご支持頂いているところです。
この間、豆腐製品は、日本の気候、風土、水、あるいは日本人の繊細な気質等にはぐくまれ、日本の豆腐として独自の製品に発展、今日にいたっております。

 

次回へつづく

 

 

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