門松の由来や歴史を知ることは、日本のお正月を知る一助にもなるでしょう。
門松はなぜ飾るの?いつからいつまで飾ればいいのか?
むかしから日本のお正月に飾られる縁起物のひとつに門松(かどまつ) があります。
全国的にほとんどのお店や学校等は門松を飾り、新年を迎えます。一般のご家庭でも飾るところが多いですよね。
今回は、門松の意味や歴史についてご案内いたします。少しでも皆様のご参考になれば幸いです。
門松は
正月には、各家々に訪れる年神様(としがみさま)をお迎えしてお祀りしてきました。年神様とは、豊作や家内の安全を守る神様であり、ご先祖様でもあります。その年神様が訪れる目印として、門松をお飾りするのです。常磐木(ときわぎ=常緑樹)に神様が宿ると思われていたことから、お正月に家の門に常盤木をお飾りしたのが門松の始まりのようです。
「徒然草」にも
「大路のさま、松立てわたして、はなやかにうれしげなるこそ、またあはれなれ(通りには、松かざりが立ち、晴れ晴れしく正月気分になるのは、たいへんよいものだ)」とあり、平安後期から鎌倉時代にかけては、門松が都の風俗として一般的なものとなっていったようです。
時代や文化を反映
いつまで飾るのか!
また、年末の飾り付けは、12月13日(またはそれ以降)を『松迎え』、また『正月事始め』といい、山から松の木(枝)を取ってくる日と言われています。
年末の29日は『二重苦』( にじゅうく ) のごろ合わせを気にして避ける場合もあります。
また31日は『一夜飾り』 ( いちやかざり ) といわれ、避けたほうがいいでしょう。
縁起のいい末広がりの8の付く28日がよいそうです。
学校では12月22日頃の終業式までに飾り付けをしたり、会社関係では仕事納めの日に併せてする場合が多いようです。
一般家庭ではクリスマスが終ってからの方が、行事のメリハリがあってよいのではないでしょうか。
門松が飾られている期間を『松の内』といい、伝統的には元旦から1月15日ですが、関西では依然15日までの文化もありますが、関東を中心に7日までとするのが多くなってきているようです。
門松の竹三本の意味
門松には長さの違う竹が3本ありますが、これには意味があります。
3本の門松の長さの割合は7:5:3の比率になっています。
これは3本とも、2で割り切れない数縁起物の比率なのです。
更に、門松の裾には荒縄が巻かれていますが、その巻く回数は次のように決まっています。
・中5回
・上3回
この意味はそれぞれ次のことを意味しています。
・1番短い竹と3回巻いた荒縄 → 女を表している
・真ん中の竹と5回巻いた荒縄 → 仲を取り持つという意味
3本それぞれの竹には、このような意味が込められているのです。
門松の松・竹・梅の意味
多くの門松には松・竹・梅の三種類の植物が飾られますが、それにはそれぞれ意味があります。
松
松は、寒い冬でも葉が落ちない常緑樹であるため古代の中国では「生命力や長寿などの象徴」とされてきました。
日本では「神が宿る樹木」であり神聖で縁起が良い樹とされてきました。
竹
竹は数年で真っ直ぐに大きく育ち、大変生命力が強い植物です。
この性質から、竹には生命力と繁栄をもたらす力があると考えられえ来ました。
梅
旧暦(太陰太陽暦)の時代は新年の始まりが、梅の花が咲く季節であったため梅は「始めに咲く花」だったことと、花が紅白に咲くためとても縁起の良い植物であると考えられてきました。
なぜ門松の竹の切り口が斜めなの?
門松の竹の切り口は、殆どのものが斜めに切られています。
この切り口のタイプには2種類あります。
・寸胴 → 真横に切ったもの
そして、元来門松は「寸胴」で飾られていました。
これは、「そぎ」に切り替わっていくのには、徳川家康によるものでした。
このきっかけになったのは西暦1572年(元亀3年)に起きた徳川vs武田の「三方ヶ原の戦い」です。この「三方ヶ原の戦い」では、徳川家康が武田信玄に完膚なきままに叩きのめされました。
徳川家康にとっては、一生涯で唯一敗北した戦です。
家康は、敗北を喫したときその悔しさから、武田憎し! 次は必ずや斬ると誓い「武=竹」の意味を込め、年初に竹を斜めに切ったことから、門松の竹が斜めに切られるようになったという説があるのです。