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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

レーズンパン〜レーズンブレッドはアメリカ発祥〜

レーズンパン/レーズンブレッドはアメリカの代表的なスペシャリティブレッドのひとつです。レーズンの生産地と言えばカリフォルニアを挙げる人が多いのではないでしょうか。
レーズンブレッドはそのアメリカ;カリフォルニアを主産地としたレーズンを主に使用することから始まりました。
その創製は今からおよそ100年前と言われています。日本にも早く伝わりました。
今日では使用するレーズンの種類もパンのバリエーションも増えました。

パンのルーツ

メソポタミアからエジプト、ギリシャ、ローマ

今から8000年~6000年ほど前、古代メソポタミアでは、小麦粉を水でこね、焼いただけのものを食べていました。これがパンの原型とされています。
その後、小麦栽培とパンづくりは古代エジプトへ伝わり、偶然によって発酵パンが誕生しました。余ったパン種(小麦粉と水をこねただけのもの)に空気中の酵母菌がついて自然に発酵し、翌日それを焼いてみたら、いつもよりふっくらしておいしかった……というわけです。

いまから2500年ほど前の古代ギリシャの時代には、エジプトからパンづくりが伝わり、特産のオリーブオイルを使った揚げパンや菓子などもつくられるようになりました。ブドウの産地でもあったギリシャでは、酵母が含まれたブドウ液をパンづくりに用いるようになったり、細かい粉をひくことのできる「ひき臼」が開発されたり、オーブンの原型に近い「パン焼き釜」が発明されるなど、製パン技術が大きく進歩しました。

古代ローマ時代

ローマ軍がギリシャへ侵攻すると、ギリシャ人奴隷を通してパンづくりがローマへ広まり、文明の栄えとともに盛んになっていきました。小麦の皮を取り除き、白くて口当たりのよいパンをつくるために、馬のしっぽの毛を使った「ふるい」も発明されたといいます。ローマ市内には国営のパン焼き釜が設置され、パンの配給も行われました。こうしてパンの大量生産がはじまったのです。

レーズンの種類

レーズンは干しブドウと呼ばれるように、天日または熱風などの人工的手法で乾燥したぶどうの果実です。
原料のぶどうの種類によって、緑・黒・青・紫などがあります。

もともとぶどうには多くの水分がありますが、乾燥によって15%くらいまでに減らされて成分がギュッと濃縮されています。

重量の60%を果糖などの糖分で占めているので、大変甘いです。
そのため、長期間保存されると糖分が結晶化して食べるとじゃりじゃりしますが、問題なく食べられます。

レーズンの歴史

紀元前1300年ころにフェニキア人(現在のレバノン辺り)は現在のスペインやギリシャにぶどう園を経営していました。
同時期に、オスマン国の少数民族であるアルメニア人もペルシャでぶどう作りをしていました。
このフェニキア人とアルメニア人交易から古代ローマに広がっていきました。
ぶどうの栽培業者たちは1851年にワイン用のマスカットレーズンを栽培し始めたのですが、アメリカのサンディエゴでは気候などが合わず、探し求めてたどり着いたのがカリフォルニアでした。栽培されるぶどうは種なし(ナチュラル・シードレス)が主流となりました。

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木になったまま自然に乾燥していたぶどうを誰かが見つけた時、レーズンの歴史が始まったと言われています。
8000種類のぶどうのうちレーズンに最適な種類を見つけ出すまでに何百年もの時間を費しました。 ぶどうの栽培がうまく、その発展を担っていたのは、古代のフェニキア人とアルメニア人でした。
すでに紀元前13世紀頃からフェニキア人はその植民地であったマラガとヴァレンシア(スペイン)、コリント(ギリシャ)にぶどう農園を経営していましたし、ほぼ同時期にアルメニア人もペルシャで独自のぶどう作りに励んでいました。これらの栽培地がレーズン作りに最適な気候に恵まれていたことは当然ですが、さらに最初の大量消費地であった古代ギリシャやローマに近かったことも、 その発展の大きな理由になりました。
マラガとヴァレンシアで主に栽培されたのは、種のある大粒でフルーティで濃厚な味が特徴のマスカットレーズン。それに対してギリシャのコリントでは種なしで酸味の強いカランツが栽培されたということです。

カリフォルニアレーズン

生産国;アメリカ(カリフォルニア)

世界の生産量の40%、日本で消費している約89%はカリフォルニア産と言われています。

わたしたちが普段食しているレーズンのほとんどがカリフォルニア産です。

カリフォルニア・レーズン産業の誕生

植民地がメキシコ人に返還され、伝道教会が解体された後も、スペインの宣教師たちはカリフォルニア農業の発展に大きな影響力を持ちつづけました。ぶどうの栽培業者たちは、宣教師たちの素晴らしい知識を利用し、利益の大きいワイン用ぶどうの栽培を始めました。市場価値の高いマスカットレーズンが、サンディエゴ近郊で栽培されるようになったのは1851年。しかし、まもなくサンディエゴはレーズンのためには最適な土地とはいえないことが判りました。夏の間は豊かな日照には恵まれているものの、広大なぶどう園を維持していくだけの豊富な水がなかったのです。
栽培業者たちは、レーズンのための最適な場所をさらに北に求めました。彼らは世界で最も肥沃な渓谷のひとつ、サン・ホアキン・ヴァレーのフレズノ近郊に、太陽の恵みが豊かな土地を発見したのです。豊かな陽光、長く続く暑い夏、それは栽培のシーズンが長いことを意味し、近くのシェラネバダ山脈の豊富な水のおかげで、この渓谷がカリフォルニアのレーズン栽培の中心地となるには時間がかかりませんでした。
利益率の高い潜在的農地…という噂が広がると、サン・ホアキン・ヴァレーは開発業者や土地の投機家などの人々にとり、大変魅力的な投資対象となりました。1870年代当時1エーカー当たり3~20ドルという地価だったため、広大な農地を取得できました。

 

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