牛肉は、周知のように文明開化を象徴する食材である。その牛肉と米がどんぶりの中で出合って誕生したのが、すなわち『牛丼』である。では、いったいどのように出合ったのか。
牛丼の原点は牛鍋
牛丼の歴史をさかのぼっていくと、牛鍋に行き当たる。牛鍋とは、開国に揺れる幕末に誕生した、牛肉の和風鍋料理である。
牛鍋が登場したのは
1862(文久2)年。横浜入船町(現在の横浜市中区常盤町、尾上町近辺)で「伊勢熊」という居酒屋を営んでいた主人が女房の反対を押し切り、牛の煮込みを売り出したのが始まりとされている。当時、横浜は外国人居留地として栄えていた。1860(万延元)年、横浜居留地でアイスラー・マーティンデル商会が食肉業者第1号として肉の販売を開始。その後8年間で外国人が経営する食肉店が7軒できたという。1867(慶応3)年には、東京の高輪で中川嘉兵衛という人物が、日本人としては初めて肉の販売を手がける。
中川嘉兵衛
日本で初めて採氷を試みた事業家で、牛肉を売り始めたのと同じ年に横浜の元町でパン、ビスケット、洋酒などを販売している。
牛肉販売開始の翌年にあたる1868(明治元)年には、東京芝露月町(現在の港区新橋5丁目付近)で、中川は東京では初めてとなる牛鍋屋「中川」を開店。「御養生牛肉」と旗を掲げて売り出すも、開店当初は「肉が臭い」など評判が悪く、繁盛はしなかったようだ。
だが、1869(明治2)年になると、神楽坂に「鳥金」、蠣殻町に「中初」、小伝馬町に「伊勢重」と東京に牛鍋屋が次々と現れ、急速に普及していく。
関東大震災以降、牛丼は現在のような醤油味に
大正時代も変わらず大人気の牛丼でしたが、その味は今とは全く異なるものでした。当時牛丼の具として使われていた牛鍋は、肉の臭みを消すためにみそ味が基本だったこともあり、必然的に牛丼もみそ味で提供されていたのです。
そんな牛丼の味が大きく変わったのは、1923年(大正12年)のこと。関東大震災で多くの牛丼屋がなくなってしまった後、関西から料理人やお店を出店する人が上京。同時に関西風のすき焼きが関東に伝わり、その相性の良さから今のような醤油ベースの牛丼が定番になっていきました。
牛丼は明治後期生まれの丼物!
現在の味になったのは大正後期から
もともとは牛鍋の締めとして庶民の間で愛されていた牛丼。一時期は下品な料理だと言う声もありましたが、その美味しさや手軽さからあっという間に人気料理に。大正時代に関西風のすき焼きとの合流を経て、今のような醤油味の牛丼になったのです。