現代日本には、加工食品、菓子パン、甘味飲料、インスタント食品、ファストフードなど「体に悪い」とされる食べ物が大量に流通している。塩分や糖分、脂肪が過剰に含まれ、栄養バランスに欠ける商品が子どもから大人までに広く消費されている。健康寿命の延伸や生活習慣病予防が叫ばれる一方で、なぜこのような「不健康な食」が大量に生産・販売され続けているのだろうか。
それは単に「企業が儲けたいから」「人々の欲望が止まらないから」という表層的な問題にとどまらず、日本社会が抱える構造的な矛盾や教育、政策、文化の問題が複雑に絡み合った結果である。
1. 食品産業と経済構造のジレンマ
利益優先の市場論理
食品メーカーや小売業者にとって、「売れる商品」を作ることが最優先である。売上を伸ばし、競合他社と差別化するためには、消費者の「快楽的な欲求」に応える必要がある。人間は本能的に甘味・塩味・脂肪に惹かれる性質を持つため、それらを多く含む加工食品は自然と「売れる商品」になる。
- 高糖質・高脂質であれば「美味しい」と感じやすく、リピート率も高くなる
- 添加物や保存料を加えることで賞味期限を延ばし、流通コストを削減できる
- 合成甘味料や香料で「風味」だけを演出すれば、コストを下げながら満足度は上げられる
このように、効率と利益を追求する市場原理の中で、「体に悪いが売れる」食品は企業にとって魅力的なビジネスモデルとなる。その結果として、健康を害する食品が大量生産・大量消費されてしまう。
中小企業・地方経済の生存戦略
地方の食品業者や個人経営の菓子店、総菜店などにとっても「甘くて濃い味」の食品は集客の要だ。客の求めるものを売らなければ、生き残れない。「地元の味=甘辛くて濃い」「懐かしい駄菓子」といった文化的背景が地域経済と密接に結びついており、単純に「健康に悪いからやめよう」とは言いにくい事情もある。
2. 消費者心理と“即効的快楽”志向
忙しい現代人の「手軽さ」信仰
現代日本人は忙しい。長時間労働、子育てとの両立、通勤ストレス――そうした中で、「調理不要」「すぐ食べられる」「おいしくて安い」食品は非常に重宝される。インスタント麺やコンビニ弁当が広く受け入れられているのは、効率と即時満足が求められるライフスタイルの反映である。
健康志向が高まっているとはいえ、調理に手間と時間をかけてまで実践する余裕がない人が多いのも事実だ。こうした需要に応える形で「不健康な食品」は生き残り続ける。
“やめられない”嗜癖性の問題
精製糖、加工脂肪、グルタミン酸ナトリウムなどの添加物には、脳の報酬系を刺激して「もっと食べたい」という依存的な反応を引き起こす性質がある。科学的には「食の嗜癖(フードアディクション)」と呼ばれる現象だ。つまり、不健康な食べ物が人間の脳を“設計的に”ハイジャックし、理性よりも欲望を優先させてしまう構造がある。
これは企業が意図的に嗜癖性を利用して商品開発を行っているケースもあり、消費者は「選んでいるつもりで選ばされている」状態にある。
3. 教育と家庭環境の問題
栄養教育の不足
日本の学校教育では、確かに家庭科の授業で栄養バランスや調理法を学ぶ機会はあるが、それが「現実の食生活」に生かされているとは言いがたい。また、企業が作る商品にどれだけの糖質・添加物・保存料が入っているかを読み取る「食品リテラシー教育」はほとんど行われていない。
特に、スマホやSNSで情報が氾濫する現代において、正しい食の知識と判断力を持たないまま大人になる若者が多く、「なんとなく不健康だとわかっていても、詳しくは知らない」状態が続いている。
家庭での食育の喪失
共働き家庭の増加、ひとり親世帯の増加により、家庭で手料理を教える機会が減っている。コンビニ食・冷凍食品に慣れた子どもは、自炊力や味覚の基準が偏り、「濃い味・強い味」を求めやすくなる。これは「家庭の再生産」によって不健康な食習慣が世代を超えて続く要因の一つとなっている。
4. 国の制度と政策の矛盾
自由経済と健康政策のジレンマ
一方で国は「健康日本21」などの施策で国民の健康を守ろうとしながら、他方では企業活動の自由や経済成長を重視し、健康に悪い食品を規制する法制度が整っていない。例えば、以下のような矛盾が存在する。
- トランス脂肪酸:日本では表示義務すらなく、完全規制もない(海外では禁止されている国も多い)
- 砂糖税・脂肪税:導入されていない
- 食品表示:消費者にとって理解しづらく、健康判断の材料になりにくい
つまり「選ぶのは自己責任」とされながらも、選択に必要な情報と教育は十分に提供されていないという状況が続いている。
5. 食文化と美意識の複雑性
「美味しさ=濃い味」「幸福=ご褒美」の文化
日本には「濃い味は美味しい」「甘いものはご褒美」「揚げ物はハレの日」といった文化的な価値観がある。こうした情緒的な背景は人々の食選択に深く根を下ろしており、単純な健康情報だけでは変えることが難しい。健康に良いが「味が物足りない」食品は、多くの消費者にとって魅力的に映らない。
また、長年続いた「痩せ信仰」や「見た目重視」の価値観は、食を「栄養」ではなく「体型管理の手段」としてとらえる傾向を強め、一層の偏食を助長する側面もある。
悪いのは「人間」ではなく「構造」である
「なぜ体に悪いものを作り続けるのか?」という問いには、「企業が悪い」「消費者が悪い」という単純な答えではなく、食を取り巻く社会全体の構造的な問題がある。
- 企業は「売れるもの」を作り
- 消費者は「欲しいもの」を選び
- 国は「経済と健康の板挟み」にあり
- 教育や文化はそれらの行動を正当化し続けてきた
この構造を変えるには、消費者一人ひとりが食の知識を深め、企業と国に対して「選ばれる食品の基準」を提示していく必要がある。すぐには難しくとも、小さな選択の積み重ねが食の未来を変えていく力となる。