ジャムの美味しさや魅力を多くの人に知ってもらい、ジャムの需要と消費の拡大を目的として日本ジャム工業組合が2015年に制定しました。この日になった理由としては1910年(明治43年)4月20日に長野県北佐久郡三岡村(現在の小諸市)の塩川伊一郎氏がいちごジャムを明治天皇に献上したことからだそうです。
ジャムの始り
今から1万~1万5千年前、旧石器時代後期の人類が、みつばちの巣から蜜を取り、蜜を使って果実を煮たことが、現在のジャムの起源であるとされています。
ジャムは、はるか昔から人類とともにあった最古の保存食品なのかもしれません。
その後のジャムは、紀元前320年頃、かのアレクサンダー大王が東征したインドで当時貴重だった砂糖を手に入れ、本国に持ち帰り、ジャムを作って珍重したとの記録があります。
ジャムが一般的に広まり始めたのは、さらに時代を下ってから。十字軍がオリエント遠征(1096~1270年)で大量の砂糖を持ち帰ったことがきっかけとなりました。
ジャムの語源
JAMの語源は、英語の古い方言"CHAM"と言われています。
すでに使われなくなっているこの方言の意味は、「ぐちゃぐちゃ噛む」。
現在、JAMを英和辞典で引いてみると、その意味は「押しつぶす」「詰め込む」とあります。やはりJAMには、昔も今も、よくそしゃくされたもの、詰め込まれたもの、という意味が込められているようです。食品としてのジャムも、その意味の通り、消化がよく、おいしさと栄養がたっぷり詰め込まれています。
一方、マーマレードは、ポルトガルで最初に作られたジャムの原料がマルメロ(ポルトガル語でかりん)だったことから、これが転じて「マーマレード」になったと言われています。
ジャムの起源
旧石器時代人も食べていた!
ジャムの歴史は非常に古く、今から1万年~1万5千年前の旧石器時代後期に、人類がミツバチの巣から蜜を取っている風景が、スペインの洞窟で発見され、その後果実を土器で煮た跡が見つかっています。人類の生活の知恵として、果実をハチミツで煮たものと想像されます。ジャムが有史以前から人類とともにあった、最古の保存食品であるといえましょう。
紀元前は、王侯貴族が珍重
紀元前320年頃、有名なアレクサンダー大王が、東征してインドを攻略し、貴重な砂糖をヨーロッパに持ち帰ってジャムがつくられ、王侯貴族僧侶が、珍重して食べたといわれます。その後、十字軍のオリエント遠征(1096~1270年)で、大量の砂糖が持ち帰られて、ジャムづくりが一般に普及されるようになりました。
庶民にはまだまだ一般的ではなかったものの、ジャムが西洋文化の味として、一般に認識され始めた様子がうかがえます。
昭和10年頃になると広島では、旗道園(のちのアヲハタ株式会社)がイチゴジャムとマーマレードを製造。
山口県萩の風月堂とならび、イギリス式に比べて甘味の多い、日本人好みのマーマレードを売り出しています。
この頃から、ジャムは一般に広く普及し、都市部と原料産地の両方で製造されるようになりました。
明治10年、 国産ジャム第1号はいちごジャム
ジャムは、宣教師が16世紀後半にもたらしたと考えられます。
南蛮風を好んだ織田信長は、おそらく口にしたと想像されますが、記録は見つかっていません。
日本で初めてジャムをつくったのは、明治10年、東京の新宿にあった勧農局で、そのいちごジャムを試売したそうです。
企業としての始まりは、その4年後、1881年(明治14年)のことで、長野県人により缶詰のいちごジャムがつくられました。 以来、長野県はジャムづくりが盛んになりました。
夏みかんの原木は天然記念物!
日本には、いちごが5種類ほど自生していて、清少納言が「枕草子」で、色彩の感覚としてとりあげていますが、観賞用の植木としてあったにすぎません。
開国後オランダ人がいちごをもたらし、明治に入ると輸入されるようにもなり、国内で広く栽培されるようになったため、いちご=オランダいちごといわれています。
あんずは、1620年頃(元和年間)、伊予宇和島(愛媛県)の伊達家から輿入れした信濃松代(長野県)藩主真田幸道夫人が、故郷の春を懐かしんで宇和島から取り寄せた苗木を、現在の更埴市森村に植えたのに始まるといわれています。
マーマレードになる夏みかんは、山口県青海島の海岸に漂着したものを、娘さんが拾い種子を蒔いて育てたもので、原木は天然記念物に指定されています。
パン食の普及とともに需要拡大
ジャムの普及発達に欠かせないパンは、西南戦争の軍用食として登場。 大正時代にパンとジャムが国民に普及していきました。
夏目漱石の「吾輩は猫である」の中で、苦沙弥先生が、“俺はジャムは毎日舐めるが…”と言っていますが、漱石は、パンには砂糖をぬっていたということです。
森鴎外も好きだったようで、ヨーロッパに留学した学者たちは、そのおいしさにヨーロッパ
化を投影して味わっていたのでしょう。
戦後、学校給食のパン食で、学童がジャムに親しんで成長してきたこと、洋風化志向となったこと、ジャムメーカーのたゆまざる努力によって価格と品質が消費者に受け入れられるようになりました。