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japan-eat’s blog

食に関する事や飲食店の運営に関する内容を記載してます。

フランス料理の父!エスコフィエはなぜ偉大なのか

19世紀末から20世紀にかけて、ホテル王セザール・リッツと手を携えて、世界中の美食家を魅了し、現代フランス料理の基盤を作ったオーギュスト・エスコフィエ。

オーギュスト・エスコフィエさんとは

19~20世紀、世界の文化の中心だったパリ、ロンドンで大活躍した料理長。
1846年、ニース郊外の小村、ヴィルヌーヴ・ルーベ Villeneuve-Loubetで生まれ、数々の料理修行の後、モンテ・カルロのグラントテル、ロンドンのサヴォイホテル、カールトンホテルの料理長を歴任し、1898年、パリのヴァンドーム広場にあるオテル・リッツの料理長を勤めました。その間オテル・リッツの創始者セザール・リッツとのコンビでこれら豪華ホテルのレストランをホテルと同格の超一級レベルにすると同時に、調理を合理化、近代化し、当時まだ過酷な職業だった料理人の負担を減しました。



また料理人が尊敬される職業となるよう指導し、社会的な向上を果たしました。
また、かつて一流レストランではコース料理の設定は存在しませんでしたが、エスコフィエはこれを考案し、予算内での食事を可能にしました。さらに、料理人としてのエスコフィエはもっと目覚しい活躍をしました。

例えば!
今でもデザートに登場するピーチ・メルバ、かえるの腿を妖精の足にみたてた妖精オーロラ風などの創作料理はもちろん、ソース・シャスール、ソース・ ディアーブル、ソース・グラン・ヴヌール、ソース・ロベールなどを軽く仕上げるように改良しました。


1903年にはフランス料理のバイブルともいえる「ル・ギード・キュリネール」を刊行しました。この書には、5000以上の料理のルセット(=レシピ)が載っており、現代においても基本の確認のためにプロの料理人が手放すことのできないものです。その他にも1912年「メニューの本」、1934年「私の料理」といずれも大部の料理本を著しています。
1935年に隠退生活をしていたモンテ・カルロで亡くなりましたが、それまでにフランスの料理文化を世界に広めた功績でレジオンドヌール勲章を2度授与され、「料理大使」と呼ばれました。わたしも何冊かオーギュスト・エスコフィエの本は読みました。。。

 

料理の盛り付けを簡素化

19世紀初頭、ロシア皇帝やロスチャイルドに仕えたアントナン・カレームは、世紀の料理を発展させ、建築的に構成された華麗な料理で天才の名をほしいままにしました。

エスコフィエは、カレーム以降も受け継がれた大掛かりで手のかかる装飾的な盛り付けを極力排除し、盛り付けも単純化した。これにより調理時間が短縮され、味覚を重視し、料理を一品ずつ提供するロシア式のサービスの理念が完全に実現されることになったのです。

 

 

厨房の仕事を組み換え組織を再編した

厨房は多くの部門に分かれ、各部門で個別に料理を仕上げていました。エスコフィエは、ソーシエ=ポワソニエ、ガルド=マンジェ、アントルメティエ、ロティスール、パティシエといった部門に分け、調理作業を分解して各部門にふり分け、最終的に料理に組み立てて完成する方式に改めました。調理システムの徹底した近代化が行われたのである。

 

「ギッド・キュリネール」(料理の手引き)を執筆

エスコフィエはこの本で、カレームからデュボワへと続くフランス料理の伝統(キュイジーヌ・クラシック=古典料理)を受け継ぎながら、時代の嗜好に合わせて、視覚的豪華さから味覚を重視した効率的でスピーディーな料理の提供へと、転換をはかろうとした。

800ページの本に収録された5000ものレシピは、過去の伝統に根ざしながらも新しい世紀にふさわしい料理として手直しされている。今もこの本が料理人のバイブルとされている理由はここにあります。

オーギュスト・エスコフィエとセザール・リッツ

フランス料理に携わる人間に、「フランス料理史上、最大の巨人は誰か?」と10人に聞けば、10人が選ぶであろう偉大なるシェフが、十九世紀中頃に登場します。それが、オーギュスト・エスコフィエ(1846年~1935年)。

近代フランス料理の完成者です。

エスコフィエは一般の家庭に生まれ、十三歳の時にニースのレストランで修業をはじめましたが、パリのレストランで料理長となった頃から、その腕前が評判になりました。そして、その名声が世界的になったのは、パリの「ホテル・リッツ」や「リッツ・ロンドン」の創業者であり、「ホテル王」と呼ばれたセザール・リッツと共同で事業を展開してからです。

セザール・リッツが、自身の経営するモンテカルロのグランドホテルのシェフとして、パリで評判で得ていたエスコフィエを招いたことから二人のタッグがはじまります。

1890年、リッツは経営不振に陥っていたロンドンのサヴォイ・ホテルの経営を請け負うと、エスコフィエと共にサヴォイ・ホテルの再建を図り、大成功を収めます。

 


特にエスコフィエの料理は評判を呼び、そこで生み出された数々の料理は現在のフランス料理店でも提供され、オペラ歌手のネリー・メルバに捧げられたデザート「ペーシュ・メルバ」(ピーチ・メルバ)や、大作曲家ロッシーニが好んで食べた「トゥルヌード・ロッシーニ」

牛フィレ肉のロッシーニ風)などは、料理に詳しくなくても耳にしたことがある人は多いのではないかと思います。

フランス料理の改革者

エスコフィエの最大の業績は、それまでの複雑なフランス料理を、料理技法や食材で分類して体系化・単純化し、基本技術とスタイルを確立したことにあります。

 

エスコフィエ自身はカレームやデュボワといった先人の技法をベースとしながらも、そのあまりに複雑な調理法を見直しました。「料理人の使命は、いかに味を損なわずに手順を簡略化するか」と言い、それまでの外見や装飾に偏重した盛り付けや提供方法を見直し、調理法からも無駄をなくし、味本位で顧客満足を重視した料理に改革しました。

カレーム時代

料理においては、食べられない装飾品まで飾り立てての演出がなされていたので、エスコフィエはそうした過剰な装飾を排し、純粋に料理だけで盛り付けるように変えました。もっとも、お皿の上から装飾品を排除する運動は、エスコフィエよりも少し後進の料理人、ブロスピエール・モンタニェらがはじめたことでしたが、エスコフィエはこれに同調して強力に推進したのでした。

 

調理法の変革では

ベシャメル・ソース(ホワイトソース)は、カレーム時代もエスコフィエ時代も基本のソースとされていますが、作り方は全く違います。

エスコフィエのベシャメル・ソースは、バターと小麦粉を合わせて炒め、それを牛乳で伸ばし、塩とスパイスで味と風味を加えるだけというシンプルなソースで、現在でも用いられている調理法です。しかし、カレームのベシャメルソースは、まずバターと小麦粉を合わせて炒め、それにフォンを合わせてソース・ヴルーテを作り、それを煮詰めたら濃い生クリームを少しずつ加えて伸ばし、火にかけながら良く混ぜ合わて煮詰め、ほどよく詰まったら火から外してバターを加え、ソース・ドゥーヴルを加えてナツメグを加えて完成という、非常に手間のかかったものでした。

 

ソースに手をかけ過ぎることで用途が限定

料理ごとに何種類ものソースを別にスタンバイしなくてはならなくなることは非効率だと考え、複雑な調理工程を簡略化し、ベースとなるソースはシンプルにして種類を減らし、料理に応じて味を加えて展開していく手法を取ったのです。そうしてエスコフィエがまとめあげた調理法は、現在もなおフランス料理の基本とされています。

また、料理の提供方法においては、一皿ずつ料理を提供するロシア式サービスを採用し、出来たての料理を出来立ての状態で食べられるようにしました。そして、それまでのように、貴族が見栄を張るために必要以上に豪華にしていたような長大な料理構成を改め、食べられる量をシンプルに組み立てて提供する、新しい「コース料理」のスタイルを作り出しました。

 

エスコフィエがはじめたコース

前菜、スープ、魚料理、肉料理、ロースト、サラダ、デザートというような、ほぼ現在に近いコースですが、それ以前は、スープ数種、アントレ十数種、魚料理・肉料理が数種、ロースト数種、アントルメ、サラダ、デザート、という、信じられないような長大な提供方法だったので、当時においてエスコフィエがいかに革新的な存在であったかがわかります。

このように、エスコフィエは味や顧客満足を重視することで、それまでのフランス料理の慣習にあった無駄な部分をそぎ落とし、現代に近いフランス料理のスタイルの基礎を作り上げた人物とされています。

また、エスコフィエがこのような大改革を行えたのは、それまで社交の道具として発達してきたフランス料理を、市民化・大衆化という社会の変化の流れに適合させる必要性があったから、という時代背景が大きくあります。

貴族の道楽ではなく、幅広い顧客を相手に商業ベースに料理を作っていくこと。こうした背景があったから、見せかけではない、実質的な美味しさの追求と合理化が求められたのです。

 

さらにエスコフィエは!

 

フランス料理における厨房組織の確立と、社会的地位の向上にも取り組みました。

現代でも使われる!

「シェフ・ド・キュイジーヌ」(総料理長)
「スー・シェフ」(副料理長)
「シェフ・ド・パルティ」(部門料理長)
「ソーシエ」(ソース係)
「ロティスール」(焼き物係)
「パティシエ」(菓子係)といった、

大きな厨房組織の役職制度を最初に構築したのはエスコフィエです。総料理長の帽子を高くしたのもエスコフィエが最初と言われています。

また、料理人は、動物を殺し、解体して作業をすることから、残酷で血なまぐさい職業という印象を持たれていることを快く思わなかったエスコフィエは、料理人に規律と品格を求め、自ら作り上げた組織体制の中で、高潔な職業人であることを目指し、社会貢献活動も積極的に行いました。

最後に

グランメゾンや高級ホテルなどではおなじみですが、必ず勉強しないといけないエスコフィエ!色々昔に考えていただいたことは本当にありがたく現在でも使用させていただいてます。しかし、高級店以外に関しては、エスコフィエ?ってなる。当然かもしれないですが、
もしかしたら魯山人っていう名前すらも知らない料理人も多いでしょうね。悲しい話ですね。どんどん歴史の活躍された方が薄れて行く気がして止まない。。。

 

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